5、泣いたり怒ったり笑いあったり。

ゴッドとユール ゴッド視点三人称 本編後


 秘塔では週末、休日の前夜を夜間講習としている。授業は夜10時まで行われ、その後は図書室や職員棟が自習のために12時まで開放される。その夜を締めくくる役として、宿直が置かれていた。
 宿直は教師が持ち回りで務める。日付が変わったのち、塔内から生徒を追い出して戸締まりをし、秘塔に泊まり込んで、朝一番乗りでやってくる教頭に鍵を引き渡すのだ。
 その日はおよそ三ヶ月ぶりの当直だった。資料室で血眼になっていた生徒を蹴り出し、ゴッドは宿直室で高さの合わない机に向かっていた。低すぎる上に囲いの木が分厚く、脚が窮屈で仕方ない。機械的に課題の採点をこなしつつ、思考はじわじわと手元を離れていく。
 秘塔一階に設置された宿直室は、広く見積もっても四畳あるかないかだ。週に一度しか出入りがないため、古くなった紙のにおいが濃く立ちこめている。寝具は布団。いちおう、朝になったら室内のラックを利用して干す決まりになっているが、今回は鍵を開けたときにはすでに敷かれていた。否、敷きっぱなしにされていた。それもあって、ゴッドは急ぎもしない採点を延々と続けている。
「今日はもう……」
 ひとクラス分の課題が片づいて、ふとそんな言葉がくちをつく。もう、どうするか。思ったタイミングで、こつん、とノックの音がした。
 寿命の近い照明陣がふいに明るくなったような錯覚。ドアに向かって、ゴッドは名を呼ぶ。
「ユール」
 古くてすぐ軋む扉が、音もなく開いた。隙間から滑り込むように、細い影が入ってくる。
「来た」
「そうだな」
 まったく無用の報告に、ゴッドは笑って答えた。
 ユールは髪をうなじでまとめ、騎士団の誰かからお下がりでもらった訓練着の裾をまくって穿いていた。足下はくたびれた大きすぎるサンダル。おそらく備品。そして手に、白い紙袋を提げている。
「お前も今日だったの? 当直」
「ああ」
 騎士団にも宿直がある。ユールが復活させた制度だ。そちらは毎日で、始まった頃は言い出しっぺだからとユールにばかり押しつけられていたが、いまは当番制が機能している。
 それはゴッドの宿直と偶然ぶつかったり、またはユールがわざとぶつけたりしていた。そんなときはサボるに限る。言うまでもなく、ゴッドが教えたことだ。
「そこやめとけよ」
 ユールが、布団をソファ代わりに腰を下ろそうとしていた。机の上を雑に片づけつつ、それを止める。
「どうしてだ」
「先週から敷きっぱ。で、どうせ前に寝てたの誰かおっさん」
 起伏に欠ける声に答え、ゴッドは数秒、ユールの持つ紙袋に視線を注いだ。たぶんあれだろう、と思い当たるものがある。だとしたら、こんなかび臭いところに居続ける理由はない。
「それ城の?」
「ああ」
「じゃあお前んとこだ。行こうぜ」
「分かった」
 確認を取るなり、チョーク避けの白衣を脱ぎ、鍵の束を取る。抜け出す準備はこれで万端だ。そそくさとドアへ向かうゴッドを、ユールが呼び止めた。
「ゴッド、布団はそのままでいいのか。お前はこれで寝るんじゃないのか」
「いーの。上、貸して」
 騎士団の宿直室は据え付け二段ベッドだ。その場所へ、これから二人で行くのである。

 明かりの落ちた塔内を迷いなく玄関へ進み、重い扉を押し開けてぬるい夜気のなかへ抜け出す。いちばん大きな鍵で施錠し、塔の裏へ回る。秘塔と騎士団本拠の敷地は隣接している。境界を形成するのは秘塔側の垣根と、騎士団側の丸太の柵だけだ。そして、垣根はところどころに隙間がある。ちょうどひと一人が通れるくらいの。
 そのひとつから、二人は柵を越えて騎士団の敷地へ入った。ユールにとっては来た道を戻るルートになる。宿直室は、備品庫や詰め所、会議室の入った本部建物の向こうだ。
「それ、ベルトなくて落ちてこねえの?」
 本部の裏を歩きながら、ゴッドは前を行くユールのズボンを指して聞いた。
 Tシャツがぴったりしたもので、その裾をズボンに入れているため、背中から腰の細さが浮いて見える。細すぎる腰に、お下がりのだぶだぶズボンは際どく引っかかっているのみだった。さらに右脇のベルト通しに重たげな鍵の束がぶら下がっているせいで、その均衡の危うさが増す。
「落ちてこない。これがあるから」
 言いつつユールが、腰の後ろの部分をなぞる。暗くて分かりにくいが、布に規則的な皺が寄っていた。
「ゴム入れてんの? 入れてもらったのか」
「ああ」
 なんやかんや、あちこちで世話を焼いてもらっているらしい。よく見ればTシャツのうなじにも白いタグがついていて、全然違う名前が書かれていた。
「着いた」
 本部に増築するかたちで設置された宿直室は、本部廊下からの出入り口とは別に、外から直接出入りができる。ユールが鍵束のカラビナを外して、一本をドアノブ下に差し込んだ。鍵を選ぶ仕草がないのが彼らしい。
「おじゃましまーす」
「どうぞ」
 日が当たらない立地のためか、室内は少しひんやりしていた。すぐに安っぽい照明がつき、部屋の全容が目に入る。ゴッドは明暗に慣れるのが早い。特に目を細めることもなく、ほぼひと月ぶりの部屋を見回す。
 物置みたいな秘塔の宿直室とは違い、ここにはちゃんと窓があり、靴を脱いで上がるようになっている。広さはそう変わらない。右手に二段ベッドが据えられ、残された空間はベッドより狭い。ここで残業をする者などいないため、デスクは必要ないのだ。あるのは季節柄か敷かれているゴザと、戸口脇の壁に掛かった緊急時の必要装備一式ぐらいだ。
 ゴッドは私物の革靴を、ユールはここの備品のサンダルを、それぞれ脱いで室内に上がる。ユールの靴は上がりかまちの隅にちょこんと並んでいた。
 ユールが装備品の並びに鍵を吊す。ゴッドは二段ベッドの梯子が降りてきたあたりへ腰を下ろした。そう頻繁に来ているわけではないが、定位置といえばそうだ。向き合う場所へユールがあぐらをかいて、紙袋から細い瓶を取り出した。
「水だ」
「さんきゅ」
「夜食だ」
「どうも」
 続いてランチボックスが出てくる。ラタンのバスケットには、城の所有であることを示す印の布が縫いつけられていた。
 ユールが瓶の蓋を支給品のナイフで外している間に、ランチボックスを開ける。中身は昼間、城の食堂で職員向けに提供しているサンドイッチのセットだ。ユールは昼には弁当を持たされているが、当直の時はこうして昼に夜食を確保し、ゴッドを誘うことがある。水も同じく食堂のもので、どちらも翌朝返却する。
 瓶を交差させるように、音頭のない乾杯をする。メニューの健全さ、サボりの慎ましやかさもあり、こうしていると高校生みたいだが、お互い酒にも目一杯タガを外すことにも興味を持てないタイプだ。このくらいがちょうどいい。
「ひさびさだな、お前が呼びに来たの」
 前回はいつだったろう。最近は新入教員が入って、宿直自体回ってこなくなった。ユールのほうは急遽当番が出られなくなるとすぐに引き受けるため、数だけでは前より増えているようだった。
 そうだな、と相槌を打ってから、ユールは水をひとくち。そうして湿したくちびるで、息を吸ってから言う。
「でも、おれは呼びに行ったんじゃない」
「俺んとこがよかった?」
「いや。夏はここのほうが環境がいい」
「風通るもんなー。秘塔は冬だな、暖房は強い。騎士団はまだそういうのつけねーの?」
 背中の後ろに手を突いて、天井を見上げる。半分ベッドの部屋だから、照明の陣は二人が座っている側だけを照らすように設置されている。空いている半分を使えば、冷暖房切り替え付きの陣も設置可能だろう。
「予算上厳しい。いまはひとが優先だ。まだ数年は採用枠を拡大すべきだ」
「本部のほうはなんかなかったっけ」
「古い冷房設備がある。二回に一回動くかどうかだが」
「お前がやっても? じゃあ寿命だな」
 魔法陣には相性がある、ということは、この10年ほどで嫌というほど実感した。一般家庭用の品も例外ではない。万全でなくなるとその傾向は顕著だ。
 ユールは魔力面ではありとあらゆる意味で優秀で、魔法陣との相性も悪かったためしがない。ゴッドのはその点では二、三歩劣る。
 余りものを詰め込んでもらったのか、種類のそろっていないサンドイッチから、ユールがサラダかなにか挟んだものを取る。ゴッドは、お前は肉を食べなさい、と何度言ったか分からないことを言ってやりつつ、ユールが持っていったのを取り上げて半分にちぎる。なんとなく大きく見えた切れを返してやった。
「さっきはなにか作業をしていたようだが、仕事が残っていたのか」
「んや。あれは明後日までに終わればオッケー。確認テストの採点だから、期限は俺の裁量だし。お前は? なんか、日報だか報告書だか、長いの書いてたことあったろ」
「あれは訓練生の問題行動に関する報告書だ。以来同じことはない」
「ふうん。じゃあ、あれから特に変わったことはなし?」
「ああ」
 表面はぱさつき、内側は野菜の水分でべとべとになったパンを飲み込む。ふたつめのサンドイッチも半分にして渡してやると、食べかけを右手に持ったままのユールは、いびつなハムサンドを左手で受け取った。パンからはみ出したチーズをうまいバランスで保持しているのがおかしくて、自然と笑みがこぼれた。ユールはその反応を不思議がるように、ゴッドの目をじいっと見返す。
 それとはまったく関係なく、ゴッドはふと思い出したことを口の端に乗せた。
「そういやさ、前言ってたのどうなった?」
「まえ?」
 ハムサンドの半分をくちに放り込んで、首肯だけで応える。ユールはやっと野菜サンドの最後のひとかけをくちに入れ、数秒思い当たりを探していた。見つからなかったようで、ゆっくりと嚥下の音をさせ、そのまま動きを止める。
「ほら、あれだよ。いってきますのチュー」
 それは数週間前に別の場所で聞いた話だった。立ち話だったし、もっと大事な用件があったため、ほとんど掘り下げられなかった話題だ。
 ゴッドの期待の目に対し、ユールはすっぱりと結論から言う。
「なくなった」
「……なくなったってことは、やってたのか?」
「一回だけ。そうしたらひどく驚いていて、いってきますのチューがいるんじゃなかったか、と聞いたら、その台詞が聞けたから満足だと言われてそれきりだ」
「相変わらず、訳分かんねーことやってんなあ」
 思わず呆れ声になる。が、たしかにユールがそんな言葉をくちにするのは、物珍しくて聞く価値がある、ような気がしなくもない。
「お前はなんつーか、得だな」
「そうか」
「そうだよ。まあ周りの人間に恵まれてんだよな」
「お前は違うのか」
 なんの重みもなく放たれた言葉に、ゴッドは一瞬面食らった。お前ほどじゃあないな、と答えかけて、それじゃつまらないと思う。代わりに、
「いや、だってこうやって一緒にサボる相手がいるんだから」
 な、とユールが指を絡めた瓶に、自分の瓶の縁をかつんと当てる。ユールはゴッドのように笑いはしないけれど、自分からもう一度ささやかな乾杯をしてくれた。

「なあ、この部屋なんで二段ベッドなの? 宿直って基本ひとりだろ」
「新人は二人一組だからだ」
「ふーん。手洗いは?」
「トイレは練習場の隅だ。洗面はこれを持って足洗い場に行く」
 バスケットと瓶を紙袋に片付け、壁際に適当に寄せて、二人はゆっくりと立ち上がる。ユールが装備品の中から蛇口のハンドルを取り出してポケットにつっこむ。鍵は吊していないのに、またぎりぎりの腰パンになった。
 夜は外のほうが暑かった。風はあるけれど、少し湿気が増している。
「これ、朝は雨か?」
「おそらく」
「傘ってあんの?」
「おれの私物ならある。お前、明日も通常業務なのか」
「教頭に鍵渡したら明日は終わり。6時かな」
「じゃあ送る。おれも団員が来たら帰宅予定だ。起床は5時になる」
 ひかりのない広い夜を歩きながら、ふたりで明日の話をする。明日一緒にいることは、いまでは当たり前ではないけれど、ゴッドはそれをなんにも特別だとは思わなかった。
 彼らはその夜、一度も昔の話をしなかった。やがて、城壁の内の最後の明かりとして、騎士団宿直室は更けきった夜のなかに灯を落とした。


2015/7/23

やりたいことを詰めて詰めて詰め込んだらこうなりました
お題に関しては、ユールは表現しなかったしそもそも感じてもなかったかもしれないけど、喜怒哀楽を共にしてきた仲間って意識はゴッドのどこかにちゃんとあるよね、みたいな。……たぶん
そして年上組史上もっとも二次創作度の高い仕上がりに