3、幻想世界で確実に残る。

アクアとユール アクア視点三人称 本編終了直後


 二度と通ることはないと思っていた。通学路にはあちこちから桜の花びらが降りかかっていた。
 ゆっくり歩いて20分もかからない道を、アクアは黙って歩く。半歩後ろを、ユールが静かに歩いている。アクアの沈黙は押し黙っていることがみえみえなのに、ユールの無言は穏やかに静まり返っているのがなんだかうらやましかった。
 二人で出てきたのに理由はない。ひとりが嫌だったのはたしかだけれど、どうしてもユールでなくてはならない理由はなかったし、ユールだけでないといけない理由はもっとないように思えた。それでもふたり、言葉をなくしたように歩く。
 学校から電話があったのは二週間前だ。留守電だった。教室に置きっぱなしのものがあるから取りに来なさい。学年で何人かそうやって呼び出されているようだったが、この家ではアクアだけだった。アクアはそれを、さもありなん、と思った。残してきた気がしたのだ。なにを、かは分からないけれど。
 なにが置きっぱなしなのか、電話は教えくれなかったから、とりあえず高校生をしていたときのトートバッグを持ってきた。これに入らないものは、持っていった覚えがない。制服は、もう着る資格を失っていて着られなかった。
 校舎が見えてくる。なんだかとても久しぶりのように思える。とまりそうな足はそれでも自然と動いていて、正門まではあっという間だった。そこでドラマチックに立ち止まることもできず、アクアは学校へ入っていく。
 日曜の昼だ。四月の頭で、まだどこの部活も休みの日まで練習していない。一歩門をくぐるだけで別世界のように静かだ。そして、うそみたいに桜が咲いていた。
 並木というほどのものはない。校門の、あっちとこっちに一本ずつ、大きな桜の木が背伸びをしたように淡い光でふくらんでいる。ついにアクアは立ち止まった。立ち止まって振り返った。ユールはこれまでとぴったり同じ距離に立っている。
 すべて終わった場所だった。ユールはとっくに学生でなくなって、いまは騎士団でなにかの役職を得ている。アクアは先月ここを卒業した。次の居場所はもう決まっている。市内の高校はすべて卒業式を終えていた。それどころか、入学式も終わっているのだ。
 それでも、アクアは立ち止まった。花びらが予測のつかない動きで舞い落ちる。風が吹いてよけいにわけが分からなくなる。いまにも誰かが卒業しそうだった。
「なあ」
 半歩の距離のユールに、アクアは問いかける。
「神魔は歴史に残るよな」
「ああ」
 ユールの返事は肯定で、それに対するアクアの返事は泣き笑いだった。
 神魔戦争にすべての決着がついたのは、まだほんのこの間のことだ。しばらくそんな話はできないくらいに、誰もが傷ついた。ここに立つふたりも、互いにまだあのときの傷を持っている。ユールはだいぶ回復が早かったけれど、生来の魔力による自己治癒をあてにする傷薬はアクアには効きが悪く、生活に困らない程度の痛みがいまだに尾を引いていた。
 うそみたいだった。この場所はなにもかも終わったと思っていたのに、まだ終わるものが残っている。はらはらと桜に降られて、アクアは名残惜しく歩き出す。
 ユールと来た理由が見つかった気がした。神魔は必ず歴史に残る。そんなことをいまここで言ってしまえるのは、アクアとユールだけに違いなかった。神魔は歴史だ。終わって、そしてなお残る。
 アクアがこれから取りに行くものも、それと同じことなのだ。


2015/04/30