グロウとユール グロウ視点三人称 グロウ高2、ユール卒業後
グロウとユール グロウ視点三人称 グロウ高2、ユール卒業後
ごとごとと、電車が走っていた。
なにもない平日の昼過ぎだ。乗客は少ない。パーカーのフードをかぶり、イヤホンで耳をふさいだ若者、すべてのシートにばらけて、年寄りが六人、幼い子供を三人連れた母親、会社員らしき男女数名のグループ。
なにごともない、この世界の平日、昼過ぎの電車だった。その中にグロウは、制服を着て、枝葉川学園高校2年の夏越楓生として座っていた。隣の、シートの端っこに座るユールは、この世界ではもうなんでもない、ただの青年としてそこにあった。
車内には、電車の振動と、昼の日差しの温度と、気配に還元される程度のひとの声が充満していた。空調はついておらず、窓は一つも開いていない。幼稚園児のおやつをリクエストする声がなにより響く。
電車が高架を上り始めた。
ふいに、ばちん! という音がした。
グロウは膝の上に落としていた視線を持ち上げた。正面の席では、年老いた男性が世間で流行りの新書をめくっている。向かって右隣は空席で、そこの窓にユールがぼんやりと映っていた。
ごとごとと、電車は走っている。
スーツ姿の一人に電話がかかってきた。車両の、グロウから遠い方の端が会話をやめて静まる。電話の応対の声がくっきりとする。優先席の親子はそれに気づかず、小さな声で童謡を歌う。
「ユール」
グロウはその名で呼んだ。ユールが定められた動きでグロウの目を見る。痛み止めが切れたのだな、と思った。青い瞳はろくにこちらを見ていない。
「ユール、ちょっとこらえ」
「わかった」
腿の上に丁寧に置かれていた左手を取る。すう、とからだ以外に弛緩するものがあって、わずかな緊張が薄い肩を伝った。
ユールがまた正面を向く。先ほどより少しうつむいていた。頬のラインに触れていた前髪が垂れて、横顔は瞳ばかりがよく見える。
究極に厚い氷のような青に、じわりじわりと水が満ち始めていた。きらきらと乱れたそれは、簡単にしずくを作り上げて、またたきを待たずにほろりと落ちた。まなじりからひとすじ。ついで、目頭からも流れる。
声はない。へたをするとグロウより華奢なからだは、震えることもない。ただの現象みたいに、涙は同じ軌跡でこぼれた。傷口から出血するように、ユールは泣いていた。
触れている手の甲はすべらかで冷たい。グロウはその手が触れていたものを思う。電車に乗った駅を思う。電車の向かう駅を、思った。
「ユール」
「、」
薄い唇が細く息を吸う。空や海ではありえないほどの青がグロウを映し込む。ほとり、とまた涙の玉がこぼれた。それが最後の一滴だった。
「もう降りるで」
涙はどれもなめらかに落ちたため、その軌跡はすぐに乾き始めた。そうして、電車は高架を下り始める。アナウンスの声が流れ、電車はゆるゆると速度を落としていく。
グロウはユールの手を引いて立ち上がった。慎重な足取りでドアへと向かう。引かれるユールはまったく軸を揺らすことなく、寄り添うようについて歩いた。
ひときわ大きな揺れのあと、電車は止まった。そう利用しているわけでもない最寄り駅から、窓越しにひとの活気が届く。
「帰ってきたねえ」
「ああ」
まったく意味のない言葉を交わす。グロウはつないでいた手を離して、ユールの目の下を指先で拭った。車内のどの音よりもうるさくドアが開いて、ユールが降りる。グロウが続いて降りる。ほかに降りる客はなく、ドアはすぐさま閉まろうとする。
「帰ろうか」
そう言ったけれど、ドアの閉まる音で自分の声も聞こえない。けれど、こちらを振り向きもしなかったユールはたしかになにかを答えた。
その内容まで、グロウの耳には届かない。聞き返しはしなかった。ただ、歩幅の狭いユールを追い越し、先に立って歩くことにした。
なにが書きたかったとかじゃなく、なんでもいいからとにかく書きたかった