グロウとゴッド ゴッド視点三人称 11歳とか
グロウとゴッド ゴッド視点三人称 11歳とか
冥界の首都とはいえ、中心を外れると人通りは少なくなる。街灯もまばらで、建ち並ぶ商店もひっそりと戸を立てたものがほとんどだ。雨の夜ともなるとなおさらである。
滝のような雨だった。タイル敷きの舗道に水が溢れて靴まで入り込み、空気と混じりあって一足ごとに嫌な感触を伝える。じゅぶ、じゅぶ、と、激しい雨音の向こうに不愉快な足音が聞こえるような気がして、ゴッドは立ち止まった。
ちょうど、数少ない街灯の真下である。傘を持たない少年の全身に雨と光が容赦なく注ぐ。お下がりの、裾を折らなくなったばかりのズボンが水を吸って重い。凍えるほどの季節ではないが、手足の先から夜の冷たさがしみ始めていた。
べったりと額に貼りついた前髪を払う。びしょ濡れの袖で気休め程度に顔を拭い、街灯の奥に立つ門柱を見上げた。掲げられた看板には、第五移動陣管理所、の文字。門は閉められていたが、施錠まではされていなかった。自分が通れるだけを開けて、そっと敷地へ滑り込む。
狭い前庭の向こうに、古びた石造りの建物がある。正面扉いっぱいに魔法陣を入れた小さな平屋――冥界各地、天界、そして魔界へと繋がる移動陣を擁した屋舎は、明かりを消してひっそりと闇に沈んでいた。その暗がりへと、ゴッドは歩いていく。
玄関の軒に入って、雨に煙っていた視界が晴れる。そこに飛び込んできたのは、金属のドアノブに下がるプレートだった。読まずとも内容の察しはつく。それでもゴッドは読んだ。
現在、本管理所は施錠されています。ご用の方はこちらへ。
「……はあ」
プレートにはめこまれた通信鏡は、利用料不要のものだったが、冥界の役所に連絡を取るなんて選択肢はありえない。ため息一つ、また雨の中へと舞い戻る。
再び門扉を抜けて、目指したのは一ブロック先にある公共通信鏡だった。こちらは有料だが、連絡先が選べる。
申し訳程度に板で組まれた屋根の下、隙間だらけの壁に鏡が吊り下げられている。ゴッドはその前に立って、濡れた上着のポケットをめくるように開き、一枚きりのコインを取り出した。鏡の下にかぶさった金属の箱に差し込むと、コインを鍵としてふたが解錠される。その中に手を入れて、接続先を定めるための操作をし、魔力を流す。
一瞬だった。
影になってなにも映さなかった鏡が明るくなる。室内の、温かな光。中にはひときわ強い、黄金のきらめきが一対あった。
「、グロウ」
言うべきことの一つも言えず、光はかき消えた。冥界では一般にはほとんど見ないほどの少額硬貨だ。ゴッドの有り金はこれで全部なのだから、仕方がない。
魔法陣を隠すふたを閉め直し、移動陣管理所の軒下まで来た道を戻った。扉にもたれて座り込む。自分が振りまいていった水滴で、雨の入らない場所まで濡れていたが、いまさらそんなことどうでもよかった。
一瞬だった。一瞬だったけれど、その一瞬でよかったのだ。
「あー。やっと帰れる」
ゴッドの声は疲労と、強い確信を持っていた。それをかき消すようにざぶざぶと、雨は弱まることなく降り続けていた。
30分も待たなかった。
「もっと濡れんくおったらよかったに」
吹き始めた風を傘が遮った。暗くてもわかる、赤い傘だ。
「どうせすぐ来ると思って」
言って、立ち上がる。見上げる側から、一気に見下ろす側へと変わる。グロウは見上げる側にはならず、ゴッドの手にたたまれた傘を渡した。
「うち、仕事やりかけちょったがやけど」
「でも来たろ?」
傘をもらうとき手と手が触れた。乾いた手も濡れた手も、温度に大差はない。なのにグロウは
「ひやっ。もう、風邪でもひいたらどうするがで」
と難癖をつけて呆れ顔をする。
「これぐらいへーきだって」
「そんなんあとになってみんと分からんちや。うちがすっと来れんかったら朝まで――」
言いかけて、グロウがくちを噤んだ。びしょ濡れの足下に向けられていた視線がすいと持ち上がる。
「なに?」
「……えいわ。もしもの話らあ、する意味ないし」
眼鏡のフレームにかかるよう前髪を引っ張ってくる仕草は、ちょっと分かりやすすぎた。そっけない言葉を選んでも、言わんとしていたことは伝わってしまう。伝わったことも伝わってしまったようで、グロウはぷいと顔を背けた勢いのまま、きびすを返してぱしゃぱしゃと歩きだす。
「あっ、待てよ」
「待たん。はようしや」
「なー俺これ傘差す意味あんの?」
「知らあん」
黒い傘を広げて、振り向いてくれない背中を追いかける。ただでさえうるさかった雨が頭上で激しく弾け、並んで立っても会話にならないほどだ。
ゴッドは水滴を落とさないよう髪をかきあげ、怒られない程度にグロウの傘へ顔をつっこんだ。
「なあ。俺のいる場所どうやって分かったんだ?」
グロウは横目でゴッドを見返した。すこし見開いたふうだった目はすぐに不敵に細められ
「それを聞きよっちゃあ、まだまだやね」
ふっ、と、明らかに上の立場からの評価が下される。
「どういう意味だよ」
「言うたまんま。はー、やっぱりまだ鍛え方足らんわ。そもそもお金で困りゆう時点でいかんわあ」
次々繰り出される言葉は納得のいかないものばかりだが、感情的にそれを否定しても指摘されることが増えるだけだ。自ら近づいた一歩を離れると、雨音で小言も聞こえなくなる。それでよしとすることにした。
雨水が、道の縁を川のように流れている。二人は傘を並べてその流れをのぼる。小言を聞き流すための距離だったのに、どちらからともなく始めた雑談は、家に着くまで続いていた。
すこしむかしの話。