探偵事務所パロ 夜道で背後からガツン
探偵事務所パロ 夜道で背後からガツン
「それでは、加害者の顔は見ていないと?」
ページが埋まってしまったのか、手帳をめくって若い刑事が問う。また同じ質問か、と熱斗は内心でため息をついた。
「ええそうです。夜道で後ろからだったので」
「けれどあなたは仰向けに倒れていた。振り返ったんですよね」
これも三回は聞かれた。いい加減うんざりだ。それに、うなじあたりにちらちらと飛んでくる視線が鬱陶しい。
「はい。でも暗くてなにも見えてません」
「ええとでは、仕事場へ戻る途中だったとのことですが、心当たりというか……あのー、盗まれたものとか」
落ち着きのない天パだとは思っていたが、態度も落ち着きがなくなってきている。
無理もない。このやり取りは不毛だ。
「ないです。財布もそこにあるし、携帯は事務所に」
「そうですか……あー、それでは……」
「なんですか?」
二重の意味でそう言い返し、そこだけ触り心地が悪くなっているシャツの後ろ襟に触れる。手で覆うようにしてみせると、刑事は慌てて視線を外した。
こんなもので気が散っていて大丈夫なのか。不愉快を通り越して呆れる。
病室を訪れた際、申し訳程度に見せられた手帳には鎖谷空也と記されていた。年は自分とそう変わらないように思えるが、それにしては仕事慣れしていない。熱斗からすれば煙に巻きやすく、楽な相手である。
対して、窓際に立つ上司の方は油断できない。石動有佐と名乗った、警官にしてはちゃらちゃらと髪を伸ばした妙な男だ。表情は常にうっすらと笑んでいて気味が悪い。ここに来てからも、挨拶以降はなにもしゃべらず、じっと窓の外を眺めている、ふりをしている。
鎖谷が次の問いを迷う。待ちかねた熱斗が「もういいでしょう」と言いかけたそのとき、石動が振り返った。
「怨恨、という線はありませんか?」
「……」
糸のような目に見下ろされ、用意していた答えをくちにするのに一瞬のためらいが生じた。
「探偵ってめずらしいお仕事ですよね。浮気調査とか、恨みを買いかねないと思いますけど」
いかがでしょう? なんて、よくもまあお膳立てしてくれたものだ。鎖谷が目から鱗が落ちたような顔でメモを取っているのが腹立たしい。
「そういうの、よく言われるんですよね」
露骨な牽制には気づかないふりをして困り笑いを作る。不自然に思われそうな仕草をぐっとこらえ、熱斗はしゃあしゃあと嘘を答えた。
「残念ながら、うちは違うんです。浮気の証拠集めみたいな、あとあとで問題になりそうなことは手を出してなくて。メインは迷子のペット捜索ですよ。あの日も野良猫の集会所回りの帰りでした」
「なるほど。それではまったく、真相は藪の中ですね」
にこり、ともとから笑っているような顔がさらに笑みを深める。嫌みか! と叫びたい気持ちを押さえて、熱斗はやっと
「もういいでしょう」
を繰り出すことができた。鎖谷はすでにすべての采配を石動に投げ出している。
「そうですね。ご協力ありがとうございました。鎖谷」
「はい、先輩」
飼い主が犬を従えるように、石動は鎖谷をつれてベッドわきを離れる。扉の前で浅い礼をひとつ、
「それでは、くれぐれもお大事に」
最後の最後に特大の嫌みを差し入れて、病室を出ていった。
スライド扉がぴったり閉じるのを待って、熱斗は深いため息をつく。
「ぜってー長引くだろこれ……」
「お疲れさまー」
からり、と閉まったばかりの戸が軽やかに開かれた。刑事二人と入れ替わりに入ってきたのは、彼らがいなくなるのを一階で待っていたはずの楓生だった。
「待合いにおりゆうきー、じゃなかったのか?」
「もっとえいくがあったがやもん。はいこれ見舞い」
雑なごまかしとともに缶コーヒーを握らされる。わざわざ追求するほどのことでもないので見逃して、鎖谷が座っていた椅子をすすめてやる。楓生はそれを、ベッドの反対側に運んで腰掛けた。
「なんでそっち?」
「あの窓、やっばいやつがおるがやって。看護婦さんに聞いた」
バカかと言いたいところだが、やっばそうなやつがついさっきまで立っていたこともあり、さもありなんと思ってしまう。
微妙な顔で缶を開けていると、楓生が「うわ」と嫌そうな声を上げた。
「あんた、それ着替えん? ひどいで」
それ、というのは後ろ襟に染み込んだ血のことだ。鎖谷の動揺と好奇心の混じった視線を思い出していらつく。
「帰るときでいい。それより犯人だけど」
「顔見たがやろ。女?」
刑事なんかよりよっぽど鋭く、当たり前のような軽さで楓生が尋ねる。熱斗も先ほどとは打って変わって明瞭な答えを返す。
「ああ。若い女だ。背はおまえと同じくらい、髪はもうちょい長め。服装はたぶんスカートだけど、コート着ててあんまり分かんねえな。靴はスニーカー。凶器はバッグだ」
「バッグ?」
手帳にペンを滑らせながら聞き返す。眼鏡の奥から一瞬だけ目を上げる動作は、鎖谷の何倍もできる人物に見える。
「そう、バッグ。薄手の、ほら、パンのポイントとかでもらえるような手提げ。あれに本みたいな重いもの詰め込んだ感じだった」
「ふうん……あのへん女子大近いでね」
さらりと言いつつ、それもメモに加えているのだろう。数秒、手がとまるまでを待つ。書き終えた楓生の次なる問いは
「なに盗られた?」
だった。
「おまえ、外で聞いてたろ」
「どうでもえいやん。盗られたもんは?」
楓生の声におふざけの色はない。熱斗もこれが最大の手がかりだと分かっている。
「……依頼者が持ち込んだターゲットの写真。封筒ごとだ」
楓生がわずかに目を細める。病室の空気が途端に緊張を帯びた。そこへ
ぴっこーん
と、なんとも間の抜けた機械音が響いた。楓生が真剣そのものだった表情をほどいて、カバンの中からタブレット端末を引っ張り出す。いくつかの操作ののち、熱斗にも見えるように掲げられた画面には、事務所のパソコンから接続しているのだろう、二人の後輩が肩を並べていた。
『明坂せんぱーい、大丈夫だった?』
『えっと、お疲れさまです。もう戻れるんですか?』
「あー、心配かけたな。午後には戻る」
なぜか笑顔の苑美も、言葉だけ丁寧な河音も、いまいち身を案じている感じはしない。が、いちおう大人の対応を見せておく。
二人はそれには触れもせず、なにかに遠慮するように声を潜めた。
『用件言うね。いま事務所に依頼人が来てるんだけど、どうする?』
『所長と冬山さんが対応してます。事件のことは知らないみたいです』
その報告に、熱斗と楓生は静かに目を見交わした。
1年くらいはあたためたと思うネタ。もうぬくぬくだ
石動有佐(いするぎあるさ)
鎖谷空也(さたにくうや)