夢小説企画
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精霊たちが五人で暮らす家には台所の勝手口から出られるちいさな裏庭があり、ちょっとした「練習」にはそこを使っているらしい。
灯香が魔法の練習をしたいと申し出たとき、河音がそう教えてくれた。それで、自然な流れで灯香が河音の家を訪ねる運びとなったのだ。
灯香だってわかっている。ここは別に河音だけの家ではない。苑美や楓生だってここの住人だ。それでも男子の家をひとりで訪れるというのは幼稚園まで振り返ってもかつてないことで、灯香が緊張する理由にはじゅうぶんだった。
さらに、招かれた玄関に学校の下駄箱で見知った女の子たちの靴はなく、絶対にほんとうに河音にはなんの意図もないのは間違いないけれど、偶然この日は二人きりだった。
「えっと……じゃあこっち、裏に出るとこあるから靴持ってきて」
河音も緊張しきりの灯香の様子になにか感づくものがあったのだろう、お茶も出さずにまず屋外に案内してくれた。
「……おじゃましまあす」
雑草の引かれた土の地面に靴を下ろしながら、家に上がるときのフレーズをなんとなくくちにしてしまう。
裏庭は教室の半分よりもうひとまわり狭いくらいの空間で、ここで苑美が魔法を使えば周囲の家屋はひとたまりもないのでは、といらぬ心配をしてしまう。
それを察してというよりは、単にタイミングよく、河音が魔法陣を書きつけたカードを差し出した。
「外には魔法が漏れ出さないようにしてるんだ。このくらいの魔法陣なら大丈夫だから、使ってみて」
「うん。ありがとう」
まずはいくつか、誘導つきの魔法陣を試してみることにした。
練習は、灯香が魔法陣を使い、魔力の動きをどう感じたかコメントして、河音が次の魔法陣を選ぶ、というものになった。
用意されていた魔法陣は触れるだけで強制的に作動するものから強く意識と加減をして魔力を注がなければいけないものまで、魔力を操る練習用に段階をつけてあった。効果はすべて共通で、空中に光の花が咲くというもの。
「すごい……! きれい!」
「ちょうど要求魔力ぴったりで使うといちばん鮮やかになるようになってるから、うまくいったかどうか参考にしてみて」
「ありがとう! ねえ、これって河音くんがデザインしたの?」
宙にひらく花弁から振り返って聞くと、河音は顔を隠すようにうつむいてちいさな声で答えた。
「デザインっていうか……フィーの庭の花をそのまま再現しただけで……」
「本物のお花の再現なの? 細かいとこまでよくできててすごいよ、そんなに謙遜しないでよ」
興奮のままに伝えると、河音は困ったように眉を下げて頬を赤くする。
「あ、ありがとう」
ちょっとしつこく言い過ぎた気がする。甘えたような弱々しい声に灯香は我に返って、そこからは真面目に練習に打ち込んだ。
一時間くらいは経っただろうか。用意された一連の魔法陣を使って、だいぶ感覚が掴めてきた。
すこし集中も切れてきたので、灯香が声をかけてお茶にすることにした。二人して靴を手に提げて玄関まで戻る。三和土に靴は増えておらず、河音はそれをじっと見つめていたが、数秒すると気を取り直すようにぱっと顔をあげた。
「灯香はコーヒーがいい? ほかはお茶と、あと牛乳くらいしかなくて」
「あっ、わたし紅茶持ってきたの。お湯だけ沸かしてくれる? お菓子もあるの」
「わかった。ありがとう」
河音は練習の途中も灯香にチューニングするため魔法陣を幾度も書き直していた。お菓子があると聞いた瞬間に表情がほどけたように思えて、灯香もつられるように微笑んでしまう。
目があった瞬間、河音はくるりと踵を返してキッチンへ駆け込んでしまった。
逃げられたような気がして、灯香はなにかしてしまったかと不安になる。が、問うのも追い詰めるみたいになりそうで、おとなしくダイニングテーブルに持ってきたお菓子を広げることにした。
レース模様の紙ナプキンに、チョコレートチップをまぶしたパウンドケーキを、ちょっと考えてふたつ並べる。家には精霊が揃っているものと思い込んでいたから、残り四切れは紙袋に残しておく。紅茶のティーバッグも一ダース入りのパウチから二包みを取り出して、
「河音くん、ティーカップ……あ、マグカップでもいいんだけど、コップふたつ借りていい?」
「あ、うん、わかった」
河音が運んできたデザインもサイズも異なるマグカップに、ひとつずつ落とす。お湯はレトロに電気ジャーポットからいただいた。五人もいるとこれが便利なのだろう。
「わたし、このジャーっておばあちゃんちでしか見たことないかも」
「そうなんだ。人間界ではこれが普通かと思ってた。灯香のうちは? やかんだけ?」
「やかんこそ使わないよ。電気ケトルって言って、もっとすぐ沸騰するやつがあるの」
そんな話をしているうちに空気も和み、へんな緊張はいつの間にか消えていた。マグカップからティーバッグを取り出し、ダイニングテーブルに向かい合わせで座る。
「これね、わたしのおすすめのケーキ屋さんのなの。河音くん、甘いもの好きって言ってたから」
「ありがとう……うん、おいしい」
うなずきながら笑う表情が子供っぽくて、灯香はなんだか優しい先生みたいな気持ちになってしまう。さっきまでは河音が魔法の先生だったのに、不思議だ。
「なんか、魔法陣の話してるときと違って、河音くん」
かわいいね、と言いそうになって、ぱっとくちを押さえる。さすがに同級生の男の子にかわいいはないだろう。いくら河音でも、気に障るに違いない。
「灯香?」
「な、なんでもないの! えーと、河音くんって、魔法陣のこと真剣に話してて、すごく好きなんだなーって思うけど、スイーツはまた違う感じで大好きなんだなって」
なにめちゃくちゃ当たり前のことを言ってるんだろう。自分でもおかしいと思いながら、言葉は止まってくれない。
「わたしの好きなパウンドケーキ、河音くんも好きになってくれたみたいで嬉しいなあ、なんて」
「…………あの、」
なんだか恥ずかしいことを言ったような気がする。頬が熱い気もする。赤くなってたらどうしよう、それはいよいよ恥ずかしい、なんて。
思って正面の河音に視線を戻すと、河音は耳まで真っ赤になって、光がきらきらと揺蕩うほど目をうるませて、かわいそうなくらいか細い声でつぶやいた。つぶやいたと言うしかない音量だった。
「と、灯香の教えてくれたケーキ……おれも好き」
ふわ、と一瞬だけ笑って、さっと顔を逸らす。見せてはいけないものを隠すように、あわてた仕草でマグカップを取り、あたふたと急な角度でくちをつけて、
「あちっ!」
「あっ、うわ、大丈夫!?」
灯香の照れも吹き飛ぶほどの甲高い悲鳴。思わず立ち上がって、テーブルのうえのティッシュを何枚も引く。
魔法陣を書くときの作業エプロンを身に着けていたため、胸や膝に溢れた少量の紅茶はさほど被害は出していなかった。
「くちのなかヤケドした……」
さきほどとは別の意味で恥ずかしそうに、細い声が言う。灯香はあどけない子供をみているような気持ちになって噴き出してしまう。緊張感はどこかへ行ってしまった。
「わ、笑わないでよ」
まだどこかぎこちない河音の口ぶりが、いまは余裕をもって可愛いと思える。ごめんごめんと謝って、灯香はそうっとマグカップを持ち上げ、やけどしないように慎重に紅茶を味わった。
アクアは本人がヒロインだからヒーローではない夢ヒロインと絡ませるのめっちゃむずい。