高1と高3くらいのユルシラ ユール視点?三人称
高1と高3くらいのユルシラ ユール視点?三人称
その日は日曜で、ユールが出かける時間は十時前だった。だからユールはいつもの休日と同じ七時に起きて、グロウが気まぐれに作ったホットサンドを朝食に食べて、九時四十五分までを騎士団から持ち出した資料を読んで過ごし、時間ぴったりに資料を閉じた。
着替えは自分で選ぶ。ファッションに関心もこだわりもないが、クルスの服飾論は頭に入っているし、勧められたコーディネートもすべて記憶している。去年仕立ててくれたダークグレーのスラックスに薄手の白いニット、紺色のシャツジャケット。これが今日のTPOには相応しい。持ち物は鍵と財布とハンカチ。ポケットだけで事足りる。
「いってきます」
「いっへら~」
リビングでダラダラしていたルビィに声を掛けて玄関を出たのが、九時五十分ちょうど。枝葉川駅まで歩いて、目的の電車の五分前には到着した。券売機の使い方は他の精霊にも教えてもらえないため、窓口で切符を買う。香島行きの鈍行へ乗り込み、滞りなく四十八分で目的地に降りる。
「柊さん!」
改札の向こうから、椎羅の声がした。ユールは軽く手を上げて、気づいたということを示す。以前、ルビィに「気づいたなら気づいたってわかるような反応してよ!」と要望されてこうするようになった。
椎羅は改札からすこし離れて待っていた。休日用のスニーカーを履いた足をぴったり揃えて、初めて見るピンクベージュのワンピースの前で、両手でハンドバッグを提げている。
「おはようございます!」
「おはよう」
ユールは時間に関わる挨拶は相手の言葉に合わせる。そして、椎羅がこれまで着てきたことのない服装でいるときは、一言、
「その服も似合っている」
「ありがとうございます。えへへ、柊さん、お世辞言わないから嬉しいです」
椎羅が破顔して言うとおり、これは事実だ。世辞ではない。ユールはクルスに服飾のなんたるかをみっちりと聞かされている。その論に照らしてみると、椎羅のファッションセンスに問題があったことはなく、彼女は常に自分に似合う服装をしている。
「行きましょう! ちょっと歩きます。えーと、十分くらいです」
椎羅に促されて歩き出す。外は気持ちよく晴れて、空気は乾燥していた。風はときおり吹くが、椎羅の緩く巻いた髪を乱すほどではない。
「こっちです。あれ、図書館なんですよ。わたしが六年生のときに新しくなって。箱みたいで、あんまり図書館ぽくないですよね」
「そうか」
ユールの相槌のレパートリーは少ない。それでも、椎羅の話を聞いていることを示すために、ユールは椎羅の話題にしたものを見て、言いたいことを理解して、なにか言葉を発する。
「小六のとき、ワンダフルストーリーズって小説がすごく流行ってたんです。十歳くらいの子供たちが本の中を冒険するシリーズで、わたしは白雪姫の巻が好きだったんですけど、うちの学校、図書室にワンストひと組しかなくて、いつ行っても誰かに借りられちゃってるんですよ。それで椎矢とここの図書館の児童室に通って、夢中で読んだなあって。前通ったら思い出しちゃいました。柊さんは好きな本とか思い出の本ってありますか?」
図書館の前の遊歩道を歩きながら、椎羅が尋ねる。
赤茶のカラーアスファルトで舗装された道は広く、左へカーブを描いて建物の向こうへ回り込んでいる。右側は銀杏並木で、その向こうは原っぱだ。数組、親子連れがボール遊びやピクニックに興じている。
ユールは椎羅の問いに答えられない。問いの広さはユールの手に余った。椎羅はすぐにそれを察知して言葉を重ねる。
「たとえば、いちばん読んだ回数が多い本……だと教科書とかかもしれないですね。いちばん読んだ回数が多い小説って、なんですか?」
考え、工夫して、なにかユールに答えられるものを用意しようという懸命さもあらわに、それでも椎羅は尋ねる瞬間には笑顔を作った。
「いちばん読んだ回数が多いのは、夢はなんですか、だ」
「夢……それって、寝て見る夢? それとも将来の夢とかの夢ですか?」
「将来の夢の、夢だ」
「へえ。どんな小説なんですか? 主人公は? いくつの人? あっ、その本って対象年齢はどのくらいなんでしょう。魔界にもそういうのあります? 表紙とか、イラストはどんな感じですか? あらすじは?」
椎羅に聞かれるまま、ユールは次々に答えた。
夢をテーマにした五つの短編からなる小説で、主人公はそれぞれに異なり、絵本ほどの挿絵はないが章を分けるページに墨書きのような淡いタッチで主人公の絵が描かれていた。易しい文体ではあるが、作者から想定される読者層は大人。けれどユールは姉の読み聞かせで三歳から読んでいた。
最初の主人公は五歳の女の子。荒唐無稽なものからささやかすぎるものまで、数え切れないほどの夢を持っている。二つ目のエピソードでは、十五歳の少年がいくつかの選択肢のなかからどれを自分の将来の夢に据えるかを悩んでいる。続く章は三十五歳の女店主が主人公だ。夫の夢、我が子の夢、友人の夢、従業員の夢、そのどれもにすこしずつ手を貸して、自らの店を大きくするという夢も周囲に応援されている。次の話では六十五歳の門番の男が主人公になる。彼は門をくぐる人々を眺めては、これまでに叶わず諦めてきた夢のことを振り返っている。
最後は九十五歳の老婆の話だ。ベッドに入るとこれまで叶えてきた夢が次々に思い出される。彼女にはまだいくつか、叶えたい夢がある。最後に思い浮かべたまだ見ぬ夢は、彼女が五歳の女の子のときに願っていた、空の星を食べてみたいという夢。それを思い浮かべながら老婆は眠りに就き、小さな女の子と一緒に甘い星を食べながらおしゃべりする夢を見る。
ユールが正確に覚えているあらすじを語り終えたとき、椎羅はユールの横顔をじいっと見つめていた。
「すごく素敵なお話ですね……!」
「そうか」
「はい! わたしも読んでみたいです」
「分かった」
ユールの予定に、椎羅に本を貸すことが書き込まれる。今夜、魔界へ帰って本を持ち出し、明日、学校で渡せばいい。グロウに預けることもできるが、差し迫った期限がなければ、椎羅は誰かを介さないでほしいと言う。ユールはそれにも「分かった」と答えた。
一回きりのそのやりとりを、椎羅も覚えている。
「ありがとうございます。月曜日、ちょっと憂鬱だったけど楽しみになりました」
「そうか」
そうです、そうなんです、と歌うように言いながら、椎羅はスキップしかねないほどに足どり軽やかだ。
図書館を過ぎて、車通りの多い国道の横断歩道を渡る。住宅街に入ると、間もなくめあての店が見えてきた。
「あそこです。ふふ、ちゃんと日替わりランチのあるお店ですよ」
以前、ものすごくメニューの種類豊富な店で、椎羅が二人分の注文を決めるのに大いに悩んだことがある。ユール自身が困ったわけではないが、原因がユールにあるのは明白だったため謝った。以来、椎羅は日替わりランチを条件に店を探してくる。これも、ユールのためであるのは明白だった。
だから、ユールは答える。
「ありがとう」
「どういたしまして。でも、いいんです。わたしが柊さんと楽しく過ごしたくてしてることですから」
「そうか」
ユールの代わり映えのしない相槌にも椎羅は満足そうに微笑んで、店の扉へ駆け寄った。ドアの上部を飾るステンドグラス風の窓から、色の付いた光がピンクベージュのワンピースに降りかかる。
椎羅が扉を開けてワンピースの裾を翻した。
「行きましょう! いい匂いしますよっ」
ユールはそれに、相変わらず、レパートリーもなにもない、あきりたりの言葉を、ただはっきりと返す。
「そうか」
三人称ならユール視点らしきものもいけるかなと思った。
でもユルシラ日常デートはユールに思うところなさすぎてオチないのが難しいな。