2016年のルビィ誕生日 空ルビ 空也視点一人称
2016年のルビィ誕生日 空ルビ 空也視点一人称
静かな夢を見ていた。太陽は音もなく沈み、風はカーテンをスローモーションで揺らす。窓辺はどこまでも静謐で、ほんのりと暗い。僕はなかに傷を持って景色をひずませる窓にそっと触れる。冷たい。その冷たさは一瞬で全身に回り、僕を凍り付かせようとする。
「空也」
温かい声と手に背中を叩かれて、僕は振り返った。
目を開けながら、肩口に触れた温もりへと手を伸ばす。空を切った指から逃げていった小さな手を追って顔を上げると、ルビィちゃんが顔の横へ手を持ち上げて笑っていた。
「おはよー。久しぶりだね、空也」
夢の続きかな、と思ってしまう。だけどルビィちゃんはたしかにそこにいて、僕の目の前に手をかざしてぶんぶん振って
「ちょっと、まだ寝てるー?」
なんて言ってくれる。
「起きてる、起きてるよ。久しぶり、おはよう、元気だった?」
僕は背をもたせかけていた窓から身を起こした。どれくらい眠っていたのか、からだは硬くなっていて、立ち上がると膝から下にしびれが残った。
「今日はひとり? どうしたの? しばらく来てなかったのに」
問いかけながら、エメリアが構えているテーブルセットのイスを引いて勧める。ルビィちゃんは膝丈のワンピースの裾も気にせずぽすんと座って、硬っ! とエメリアのチョイスに文句を言った。
「ひとりひとり。仕事ないのあたしだけだからねー。空也も今日はひとり?」
……半年ぶり、だろうか。もうちょっと短いような、長いような。最近はひとの出入りがなくて、時間や日付の感覚がすっかりダメになっている。前に見たルビィちゃんはもっとモコモコの冬着姿だった気がする。今日は長袖だけど生地は厚手だから、春か秋か。
そんなことを考えつつ、これもエメリアの用意している簡易ポットに魔力を流し、お茶の支度をする。
「僕もひとりだよ。お利口にしてたらエメリアが暇がってさあ。最近はお城のあちこちでほかのひとの仕事もらってるみたいだよ」
「へー。そうなんだ。空也は? どうしてるの?」
「どうもこうも……」
言いかけて、やめた。せっかくルビィちゃんが来てくれてるのに、そんな寂しい話はしたくない。
「それよりルビィちゃんは? 相変わらず元気そうだけど、なにかあったの?」
イスのクッションに手を突いて足をぶらぶらさせるルビィちゃんは、ほんとうに出会った頃となにも変わらない。止まってしまった僕の時間を考えると、もうルビィちゃんの方がいくつか年上なんだろうけど、そんなふうにはちっとも思えない。ルビィちゃんはいつまでもちいさくて可愛くて、誰よりも強い女の子だ。
ルビィちゃんとは仲良しだけど、彼女が僕にはっきりとした用件があるということはすくない。外出許可証を書いてもらったことも、一回か二回あるかないかな気がする。お城まで来たついでにここで話していくか、アクアくんや誰かに外へ出してもらって、そのときに会って話すことがあるくらいだった。
「そうだなあ、なにから話そっかなあ」
もったいをつけるルビィちゃんを微笑ましく眺めながら、僕はそっとカレンダーを盗み見た。しばらく見ていなかったけど、律儀なエメリアが毎日めくってるから間違いないはずだ。お城で統一的に使われている日めくりによると、いまは3910年の11月25日だった。冬の入り口が見えてくる秋、といった頃か。というか
「あれ? ねえちょっと、今日って君の誕生日だよね!?」
「あ、うんそうだよー」
いえい、とルビィちゃんはほっぺたのそばでピースサイン。かっ、可愛い。という心の声はどうにか仕舞って、僕は
「ごめん、すっかり日付の感覚がなくなってて。おめでとう。いくつになるんだっけ?」
とごく軽い気持ちで聞いた。
「23歳!」
ぴっ、とピースのそばに三本指を立てた左手が添えられる。とても23歳の仕草じゃない。可愛い。じゃなくて、
「そんな……もう……!」
僕よりふたつ下だったルビィちゃんがいつの間にかふたつ上になっていた。なんとなくそういうときが来ることはわかっていたはずだけど、それでも実際にそのときが来たと告げられると動揺する。
プレゼントどうしよう。僕に調達できるものなんて数少ないけれど、なにか喜んでもらえるようなものはないだろうか。ご馳走してあげるって言ったらデートしてくれないかなあ。
なんて、甘い夢を見る僕に、機嫌よくにこにこしっぱなしのルビィちゃんが言った。
「それはまあいいんだけどさ、今日は空也に言いたいことがあって来たんだよ」
「なあに?」
「あのねえ、あたし赤ちゃんできたんだー」
赤ちゃん。
「僕とルビィちゃんの?」
わりと本気の勘違いでくちにした言葉は、予想外にウケた。
「ぷふっ、あは、あっははは! なわけないでしょー!?」
ルビィちゃんはおなかを抱えてひーひー笑っている。その腕の下を見つめる。ぺったんこのおなか。
「えっ、うそ」
「ほんとだってば! わかったばっかりだからね。会ってすぐわかるぐらいになってから教えたら、空也ショック受けるでしょ? それは可哀想かなって」
ああ、ルビィちゃん。僕じゃなかったら誰の子だよ~!? とか言って困らせたいなと思ってたけど、そんな優しい気配りをしてくれてたなんて。
「だからさっさと行ってきなさいってアクアが」
前言撤回。ルビィちゃんは相変わらず、デリカシーのデリの字あたりが限界だった。
「つらいなあ、うれしいなあ、おめでたいなあ」
「なにそれ。ほんとはどれなの?」
しんみりと感慨を噛みしめながら、お茶を淹れて出してあげる。ルビィちゃんはカップに手を伸ばして、すぐに「あちっ」と指先を引っ込めていた。
「全部ほんとだよ。それで、今日はその話をしにきてくれたの?」
「それもあるけどー、いちばんはこれかな」
ぴしっとそろった人差し指と中指に挟まれている四つ折りの紙。開かなくてもそれがなんだか、僕はよーく知っている。
「誕生日プレゼント、ほしいな」
ルビィちゃんの掲げる外出許可証には、すでにサインがしてあるのだった。
しかし、妊娠を告げに来た足で僕をデートに誘うなんて大胆が過ぎるんじゃないだろうか。
僕がそのことにハッと気づいたのは、ルビィちゃんと喫茶店で甘さ控えめのケーキを食べてお茶を飲んで、古本屋さんでルサ・イルの著書を見つけて思い出話に花を咲かせて、手をつないで、それをぶんぶん振りあげながら歩いて、城下の外のなだらかな丘のてっぺんまでのぼったときだった。悲しいことに、僕とルビィちゃんが手をつないでご機嫌で歩いていても仲の良い兄妹ぐらいにしか見えないだろうけど、それでもアクアくんのお嫁さんで、これからお母さんになることが決まっている女の子と僕が、こんなことをしてていいのだろうか。
不安になって手を緩めると、ルビィちゃんは待っていたかのようにすいと僕の隣を抜け出して、広い丘の真ん中に駆けていく。ゆるやかな足取り。軽やかなステップはいつものルビィちゃんだけど、地面をとらえるつまさきがどこか慎重に着地するように見えた。
「あのね!」
たぶん、おおまたで歩けば五歩くらい。その距離の向こうからルビィちゃんが言う。
「双子なんだ」
「ふたご……?」
「赤ちゃん。双子って、たいへんなんだって。あたしは体がちっちゃいから、よけい難しいんだって。だからあんまり激しい運動はダメって言われちゃった」
風がびゅうと僕らの間を吹き抜ける。日差しはまだそう低くないところから注いでいて、ほんのりとあたたかい。でも、風はじゅうぶんに舞い上がった僕の頬を冷ました。冬が見えてくる秋。ルビィちゃんのお誕生日。
「戦えないんだよ、あたし」
困ったようにルビィちゃんは笑った。僕は思わず駆け寄って、そのちっぽけな体を抱きしめていた。
「ルビィちゃん」
「大丈夫だよ」
ぐい、としっかりしたちからに押し戻され、僕は一歩の距離をおいてルビィちゃんを見つめる。
「……いま戦えなくたって、ルビィちゃんはいつでも世界でいちばんの精霊だよ。だからあんまり悲しいこと言わないで」
「あはは、やっぱり空也だね。だからあたし、空也に会いたかったんだよ」
今度はもっと明るく、ぱっと花が開くように、ルビィちゃんが笑う。その意味がわからなくて戸惑う僕の手を、ルビィちゃんは強く引いて歩きだした。
「きっとみんなそう思ってくれてるんだよ。わかってるけど、ひとりでいると戦えなきゃだめだって思っちゃうし、アクアといると魔法陣が使えなきゃだめだって気になっちゃうし。でも空也といると、あたしは精霊なんだ、って胸が張れるの」
丘を下る。風がどんどん強くなる。ルビィちゃんの風だ。
つらくて、うれしくて、とてもおめでたい気分だった。
「ありがとね」
手をつないで街へと戻りながら、ルビィちゃんが言う。
「そんな……お礼を言うのは僕のほうだよ」
「違うよ。だってこれ誕生日プレゼントだもん」
「デートが?」
「空也と会うのが」
どっくん、と驚くほどの音を立てて心臓が鳴る。半歩前を行くルビィちゃんの横顔をのぞきこんで、また胸が跳ねる。息をのむほど強くまぶしい真っ赤な輝き。意志がそのまま濃い色になってるみたいなまっすぐさ。あふれんばかりどころか、現にいまも風となってあふれ続けている底なしのちから。なのになめらかな頬はまるく幼くて、ご機嫌に笑っている。
やっぱり僕にとって、ルビィちゃんはどこまでも魅力のかたまりなんだ。
食い入るように見つめていたのはすぐにばれた。ふいと振り返ったルビィちゃんがにんまりと笑みを深くする。
「そう。その目がいいよね、空也は」
「えっ? そ、そっかなあ~」
物欲しそうな目をしている、とよく言われるのだけど。でもルビィちゃんがそう言うならそうなんだろう。いつまでだって、僕はこの目で君を見つけ続けるよ。
びゅう、と風が吹く。だんだんと冷たくなってくる風に背中を押されて、僕らは歩いた。世界でいちばんの精霊の女の子と、誰よりも精霊に憧れるさびしい男のふたりで、手をつないで。いつまでも続く時間じゃない。でも、ずっと僕らはこんなかんじでいられるんだろうなと、強く思えるのがなにより幸せな気分だった。
空也は「精霊」というものに対していつなんどきでも物欲しそうな欲深な目をしてしまうので、精霊として自信をなくしそうなルビィにはありがたい存在になれる、っていう
もう23歳か。はやいなあ