高二と高三、が終わったゴドグロ
高二と高三、が終わったゴドグロ
だいたい、卒業がなんなのだ、とグロウは思う。
「楓生はずっと一緒にいるんだし、こういう節目ってチャンスだと思わない?」
思わない。だって、あの人はこれを節目だなんて考えていない。
「イベントは口実になるわよ。第二ボタンとかもらっとけば?」
いらない。ボタンなんて、取れたとか欠けたとかでいくつも受け取ってきた。制服のボタンなんか付け直す場所もないのに、なんと言って受け取ればいいのか。
「そんなのどうだっていいの! 楓生が勇気を出すきっかけにすればいいのよ」
足りない。こんなことで湧いてくる勇気程度で解決するなら、もうとっくに片は付いているはずなのだ。
「あのね、つべこべ言ってるうちに卒業だからね! 一緒に登校できる残り回数を数えてみなさい!」
そう言われても、登校時間は以前からほとんど重ならない。むしろ仕事一本のほうが一緒にいる時間は長くなる。長くなって、だからどうということがなにもないのが目下の課題ではあるのだが。
三月。双子の友人にステレオ音響で発破をかけられる日々を過ごした末、グロウはゴッドが明坂熱斗として出席した卒業式を仮病で休んだ。ルビィとアクアには急ぎの仕事と嘘を吐いて、その嘘がバレないよう、夜までに本物の急ぎの仕事をこしらえて翌朝にはゴッドに与えた。
なにからかは知らないが逃げ切った。と、思っていたグロウをとっ捕まえたのはまたもや椎羅と椎矢だった。
「楓生! 休むってどういうこと? なに考えてるのよ!?」
「返事次第では、これの写真全部消しちゃうからね」
自身は柊の高校卒業時にプロポーズまでかました実績のある椎羅と、家のデジカメで写真を撮っておいてくれた健気な椎矢は、春休み、他の精霊が家にいないタイミングを見計らって乗り込んできて、そうまくしたてた。
「二人の勢いがプレッシャーで……」
グロウはため息交じりに弱々しい責任転嫁を試みる。
「はい、言い訳」
椎矢がデジカメの電源を入れる。写真を消しているのはフリだというのが、機械に疎いグロウにも分かる。
二人のことは正直、お節介だと思う。でも心地よく愛情深いお節介だ。邪魔だとは感じていない。こうまでしてもらってびくとも動けない自分が嫌なのだ。
左右からつっつかれて、そんなようなことを白状した。
「えー。自己嫌悪してる暇があれば当たって砕けちゃえばいいのに」
「く、砕かんとってや」
「ぶっちゃけ楓生の感覚的にはどうなの? 勝ち目ある? わたし、あんまり一対一で話すことないからよく分からないんだけど」
椎羅は大まじめに腕を組んで悩んでくれる。
「わたしは楓生が言うほど慎重にならなくてもいいと思うわよ。姉さんはちょっと極端だけど、楓生は少し見習ってもいいかもね」
言いながら、椎矢はデジカメに保存された写真を次々と表示していく。写っているのは卒業式のあとの教室だ。去年はグロウも同じ廊下に自前のカメラを携えて、椎羅のために写真を撮りに行った。人が行き交うなか、他人の目を気にするきらいのある椎矢には大仕事だったろう。その優しさだけでグロウにはじゅうぶんに思えた。
それなのに、
「あーあ。ほんとは楓生と明坂のツーショット撮ってあげようと思ってたのに」
めくってもめくっても出てくる写真を流し見ながら、そんなことを言う。楓生は椎矢が可愛いったらなかった。
「ありがとう」
自然と気持ちが言葉になる。ほんとうに良い友達が持てた。たぶんグロウは、ゴッドよりも椎羅と椎矢の卒業のほうが惜しい。
「いいわよ、撮ってないもののお礼なんて」
「じゃあ撮ればいいのよ!」
椎矢の謙遜にやや被せ気味に、椎羅が立ち上がった。
「は?」
「え?」
二人で見上げる椎羅の瞳は、自分事のようにきらきらと輝いている。
雨が降ったら台無しだからとセッティングをせっつかれ、グロウは気まずさからやたらに詰め込んでいた仕事の予定を急いで調整した。二日後を二人とも休みにし、江藤家へ電話で伝えたところ、電話口の椎羅はそのまま、
「明坂先輩に替わって」
と誘いの連絡まで済ませてくれたのだから頭が上がらない。ただし誘い文句は教えてもらえず、グロウは当日までやきもきしたし、ゴッドと顔を合わせる機会を巧妙に減らした。
椎羅と椎矢の部活の応援で何度か訪れた、弓道場のある市民体育館と隣接する河川敷を利用した公園が指定の場所だった。時間は午前十時。出かけるまでの時間を人間界の家で過ごすことに耐えられず、グロウは前夜から一人で実家へ引っ込んだ。ゴッドが徒歩で出発してから、バスに乗って先回りをしてやるつもりだった。
人間界の公共交通を使いこなすのは簡単なことではないが、バス会社の事務所にも運行予定を確認してある。間違いなく五分後に出て五分前に着く計算だった。
しかし、予定ぴったりに人間界へ戻って、これも指定された制服に着替えて降りてきたグロウを、想定外の事態が出迎えた。
「あれ。グロウも学校行くの?」
遅い朝食に取りかかっていたルビィからそんな言葉。
「も? も、ち、誰もで」
「ゴッドも。制服で出てったよ、ちょっと用事って。学校になんか忘れ物でもあったのかな。いまから行ったら途中で会うんじゃない?」
ルビィの計算がどこか引っかかる。五分差ならグロウの往路でゴッドの復路にぶつかるわけがなく。
「いつ出た?」
「いつだろ。たぶん十五分くらい前」
やられた! と瞬時に思った。やったのはもちろん椎羅と椎矢だ。グロウには集合時間と言っていたくせに、別々の時間に呼び出してあったのだ。
「いってきます!」
やけくそみたいに言い捨ててリビングを飛び出す。ルビィの、いっへりゃー、という間抜けな挨拶がその背を見送った。
市民体育館前でバスを降り、遊歩道で敷地を突っ切った先が待ち合わせ場所だ。ほぼ偽装で掛けてきたスクールバッグのハンドルを握り直し、河川敷へ下る階段を目指す。土手の上の舗装路へ出たとき、はっと何かに引き寄せられて視線が右を向いた。
この季節、そこらじゅうで咲いている桜はこの土手にもずらりと植わっていて、振り向いた先の景色は明るかった。そのなかに、やっぱり指定されたのであろう、制服姿のゴッドが傍らのベンチにも座らずに立っていて、グロウに気づいて、
「あ、来た」
笑った。ごく自然に。なんの屈託もなく。ただ待ち合わせの相手に会えた、ほんとうにそれだけという風情で。
いま撮って! とグロウは束の間その笑みに見とれながら思い、ハッと正気に戻って周囲を見回す。グロウが降りようとしていたのよりひとつ向こうの階段で、身を隠すようにしゃがみこんだ椎羅と椎矢が揃ってこちらを追い払う手振りをした。見るな、ということらしい。双子も付き合いでか制服で来ているようだ。
仕方なく、グロウは視線を手前に戻す。咲ききった桜、ぽつんと置かれたベンチ、グロウを待っている人。どういう覚悟がいるのか分からなかったから、あえてなにも考えずに歩き出した。それなりに遠く見えた距離は、いつもの癖でさっさと歩くとすぐ消化してしまった。
かける言葉は考えていなかった。先制されたくないという習性だけで中身のないことをとりあえずくちにする。
「……よう晴れちゅうね」
ついでに空へ、目をそらす。呆れるほど晴天で、午前の光はやたらきらきらしていて、背景は山盛りの花だ。満開だ。出来過ぎて見ていられなかった。油断したら椎羅と椎矢のところへ走って行って、なにか捲し立てそうな衝動があった。何をという、中身は自分でも想像がつかない。
「晴れてよかったな」
視界の外から振ってきた声にいきなり揺らいだ。振り返って、やっぱり眩しい、と思いながら、どういうことか目で問う。
「写真撮りたいんだろ、あの二人」
「うちもそう聞いちゅうけど」
慎重に、椎羅と椎矢が事の中心であるかのような言い方を選んだ。ゴッドだってその方が都合が良いに決まっている。きっと電話口でもそういうことにして待ち合わせに応じたのだろう。それはつまり椎羅の言うところの勝ち目はないということでもある。今更な落胆を、遅れて意識した待ち合わせの特別感で中和して、グロウはいかにも写真を撮りやすいようにそうしてあげているといった素振りで、もう半歩ゴッドのそばに寄った。
期待通り頑張っちゅうろう? と階段のすみっこに横目をやると、椎羅と椎矢はデジカメの設定をなにやらいじくってこちらを見てもいなかった。
ゴッドもその様子に気づいたらしく、姉妹がコソコソやっているのを微笑ましく眺めている。なんだかルビィでも甘やかしているときのように機嫌が良い。……思えばその違和感は最初からあった。なぜゴッドはこうも楽しそうなのか。聞かされているであろう口実は大したことないし、隠せている気のしない思惑もゴッドにとってはむしろ不都合だ。
表には出さずに訝るグロウの肩を、ふいにゴッドが促す手つきで押した。グロウにはすぐ意図が分かった。場所を入れ替わるように足を運ぶ。視界の端で椎矢がカメラを構えている。ほんとうに、なぜこんなに協力的なのか。
「あの二人、お前には言ってないのか」
ここまで来たら問わない方が不自然だろうか、と思い始めたところでちょうどよくゴッドがそんなことを言い出した。
「何を?」
とすぐさま尋ねる。
「呼び出しの電話あったろ。あのとき、なんで写真? って聞いたらさ、」
すいとゴッドが背を屈めた。グロウの外仕事に伴われたときの、耳打ちの仕草。これにグロウは油断した。事務的な雰囲気が波打つ感情を凪に戻した瞬間に、ささやかれる。
「楓生はいつも撮る側だから、って」
似てない、といつもの茶々を入れるのも忘れた。椎羅の言葉だ。似せてなくて、内緒話みたいな優しい声なのに、椎羅の声の懸命さが伝わった。なんて可愛いことを言ってくれる。なんて、なんて、
「良い友達だな」
椎羅と椎矢の方を見ないように堪えて頷く。うん、そうよ、とはっきり言いたかったのに、ゴッドはその間を置かず、
「お前に良い友達がいて良かったよ」
その声はグロウが言おうとしていたよりはっきりと強く、まるで今日はこれを言うために来たかのようだった。
とてもゴッドのほうに顔を向けられなかった。けれど受け止めないわけにもいかなかった。年相応に浅はかな友達のお膳立てだと分かっても、ゴッドは来てくれた。グロウは椎羅と椎矢がいちばん期待している行動には踏み出せない、踏み出すつもりもない。万に一つもそうなってはくれるなと、ゴッドも思っているはずなのだ。
でも「良い友達がいて良かった」と、それなら言える。言えるからといって黙っていてはいけない理由もないのに、この呼び出しに応えてくれたのは、愛情じゃなければ他に何があるというのだろう。
川面から視線を引き剥がして振り返る。目が合うなりゴッドは促されたように先を続ける。
「あんま気にしてなかったんだよ。行事ごとのとき結構カメラ構えてるのは知ってたけど、自分も写りたいってわけじゃなかったろ。でも椎羅と椎矢からしたら、自分たちはいつも撮ってもらって嬉しいから、そうじゃない立場のグロウにも同じ楽しみが回ってこないとダメだって思うんだな」
あいつらほんとにお前のこと好きなんだな、と、感心してみせるゴッドは、グロウには全部本心だと分かる態度で、それを語るという選択で、たぶん、きっと、いや絶対――とグロウは自惚れを自分に許した――椎羅と椎矢の思いが理解できるくらいにはちゃんと、グロウのことが好きだと伝えている。
そのくらいの好きでしかないという事実を改めて噛みしめる悔しさと、だとしてもこの機に伝えようとしてくれただけで途方もなく報われたような思いの二極を気持ちが行き来する。肩も頭も胸も急にずっしりと重く感じてしゃがみこむと、押しつぶされた身体から吐息とともに堪えきれない声がこぼれた。
「うちも好き」
「なに、どうした急に」
気遣うような声は、聞こえたかどうか分からない言葉に対してではなく、突然座り込んだグロウの様子を窺う響きだった。
「なんちゃあないき。なんちゃあないけど、うちの友達があんまりえい子で可愛いき」
しゃがんだままこちらを覗き込むゴッドの顔を仰ぐと、ゴッドはいつものように、ただそういうことにしておきたいというグロウの意を汲んで、得心したように手を差し出した。
「じゃあ、もうちょい友達甲斐に応えてやらなきゃな」
「そうよ。あんたに一仕事頼むで」
ゴッドに手を引かせて立ち上がり、グロウは必死でシャッターボタンを押している椎矢と、その脇からデジカメの画面を食い入るように見つめる椎羅を見やった。
画面越しに目が合った二人が不思議そうに向けてくる視線を、グロウは笑顔で受け止める。
そして、一週間後には江藤家のプリンターで印刷した写真がグロウの元に届けられた。
「あ、これこれ。良かった! よう撮れちゅう!」
いろいろと万全を期して、場所はグロウの実家兼事務所だ。ゴッドはグロウが呼ばない限り来ないようにしてある。その安全地帯で、椎羅が叫んだ。
「ちーがーうー! 楓生、ほんとに趣旨わかってる!? わたしたちとの写真なんてオマケでしょ! オマケ!」
隣では椎矢が楓生が最初に取り上げた以外の写真をずいずいとテーブルの上に押し出してくる。
「たぶんベストショットはこれ。あとこれ。これも。ちゃんと見てよ?」
「分かっちゅう、分かっちゅうよ。撮ってもうたが全部嬉しいちや。写真も上手やし」
たしかに、椎矢は期待以上のカメラマンだった。どれもかなり自然に撮れているし、ピントもばっちりだ。
「当たり前でしょ。雑誌とか見て勉強したのよ」
「そうそう。意外とファッション誌とかアイドル誌ってカメラ目線とか正面からとかで、ちょっとマニアックな建築とかアート系の雑誌に芸能人が出てるコーナーのほうが参考になるのよね」
企画をここまで運んだ椎羅が、妹の影の努力を教えてくれる。
グロウの手にする写真のなかで、その二人はグロウを左右から挟むように立ち、ぴったりと肩を寄せ合って、ちょっとやけくそみたいな笑顔でピースを顎に添えている。大事にしょう、と心に決めたそれを、椎羅がひょいと取り上げて机の隅にやった。
「はい、それはいいから。わたしたちの記念写真は来年が本番でしょ。それよりこのなかでいちばん良いの選んで!」
もともとどれだけ撮ってあったのかは知らないが、江藤姉妹による厳選をくぐり抜けてきたのは二十枚ほどだった。椎矢の腕ももちろんあるが、ゴッドの被写体としての優秀さには誰より見慣れたグロウでも舌を巻く。
さすがに、グロウが撮って! と願った瞬間はカメラと真逆の方向のため写っていなかった。それでも、横顔が並んでいるのとか、正面からではないけど目が合っている瞬間とか、自分でもなかなか良い雰囲気に思える写真がいくつもある。
「わたしのおすすめはこれ」
「じゃあわたしは番外編でこれ」
椎矢が指さしたのは立ち位置を入れ替わるためにゴッドの手が肩に乗っている写真。椎羅が手元から追加してきたのは、グロウが到着するより前にテストとかなんとか言って撮ったのであろう、なにかカメラの方に話しかけているゴッドひとりの写真。
グロウがいない場面でのゴッドはかなり貴重、と心を動かされながらも、グロウは最初から決めていた一枚を示した。
いちばん味気ない、ただ二人して川のほうを見ているだけの一枚。足元まで写っている分、表情は分かりにくい。それでもグロウはこれがどの瞬間を切り取ったものか鮮明に覚えている。今のままの関係を望むゴッドが最大限の譲歩で選び抜いた一言を、覚えている。
「これ……ピントはすごく良い感じだから印刷したけど、何枚目だっけ?」
「こんなのあった? もっと引きのやついっぱい撮った方がよかったの?」
「ううん。うちはこのときがあの日でいちばん嬉しかったき」
椎羅と椎矢にもそのうち教えてあげようと思う。けれどいまは「そんなことで満足してちゃダメ!」と怒られるから内緒にしておく。
番外編を含めてまだ隠し持っていた写真を次々と広げてくれる二人に、グロウは心の内でちいさな約束をした。
もとはこっちをゴッド誕に書きかけていた。けど主役がどう考えてもグロウだったのでこかした。
本編ではあまりそんなふうに書けないけど、椎羅椎矢は苑美の友達っていうより楓生の友達なんですよね。