アクア視点三人称メイン 高二ぐらい?
アクア視点三人称メイン 高二ぐらい?
その日の昼休みも、苑美たちはいつもの面子で四つくっつけた班机を囲んでいた。そしていつものように、椎羅の柊さんトークを聞かされていた。
「それでねっ、柊さんってこう、斜めから見るとね、」
その話はこれまでに何度もきいたやつだ。そう思った苑美は、ちょうどブロッコリーのごま和えを飲み込んでくちも開いていたことだし、と、ちょっとだけ気になっていたことを指摘してみた。
「椎羅、さっきから顔真っ赤だよ」
「え?」
椎羅が両手で自分の頬を包む。椎矢が呆れを多分ににじませて言う。
「テンション上がりすぎね」
「違うわよ! だって恥ずかしいじゃない、好きなひとの話するの」
「じゃあしなきゃいいのよ。それに、いまさらなにを恥ずかしがるの? 姉さんが冬山柊のこと好きなのは、みーんな中一から聞かされてよく知ってるわ」
「知っててもなのー!」
きょうだいげんかともつかない言い合いを、苑美は不思議な気持ちで聞いていた。
――のだという。
夜。五人で暮らす家のリビングには、アクアとルビィのふたりだけだった。ユールはお風呂、ゴッドは部屋に引き上げたあと、グロウがいまトイレにたったばかりで、たぶん一分もない二人きりの時間だ。
ルビィはそのわずかな時間に昼間の出来事をアクアに語って聞かせ、最後にぽつりと、ほんとうに不思議そうにつぶやいた。
「好きって悪いことじゃないのに、なんで恥ずかしいんだろう」
にぎやかしにつけているテレビの光で、赤が強まったり弱まったりする瞳を横目に見つつ、そこか、とアクアは思った。
なんの変哲もない、アクアも教室の反対側からよく眺めている昼休みのことを、ルビィがわざわざ夜になって持ち出すのはめずらしいことだった。その理由は、ルビィらしい些細な疑問だったのだ。
思えばルビィが恥ずかしいなんて言うのは聞いたことがない、かもしれない。
半分寝ていたというテストの点を教室の真ん中で大声で叫ばれても――あのときグロウは本当に驚いたのだと思う――「そういうときもある!」なんて逆に胸を張っていた。
クルスに次々とワンピースを試着させられ、それをみんなにお披露目され、可愛い可愛いと兄バカ丸出しで連呼されても、てれてれと頭を掻いてはいたけど、どう見てもまんざらではない様子だった。
新しい魔法を考えたと意気揚々と使って見せて、失敗してマントでぐるぐる巻きになったときも、恥ずかしがるどころか、悔しそうに、でも、困難を前にしてどこかうれしそうに、何度もやり直していた。
悪くないのに恥ずかしいのが不思議なら、悪いことが恥ずかしいのだろうか。
そう考えて、アクアは昨夜やっていた特番の刑事ドラマを思い出した。あれに出てきた刑事は、容疑者とされた若者に向かって「そんなことをして、故郷のお母さんに恥ずかしくないのか!」と訴えかけていた。足腰の弱い老人ばかり狙った卑劣な犯行、とかなんとか言っていたのを覚えている。犯行の内容は、ちゃんと見ていないから記憶にない。
卑劣なことが恥ずかしいことだとしたら、ルビィは絶対そんなことしないし、やっぱり恥ずかしいことなんてなにもないのかもしれない。
そういうアクアは、いま隣で、
「あたしはアクアのこと好きだけど、全然恥ずかしくないよー」
と言いながらへらへら笑っているルビィと目を合わすだけでもう恥ずかしい。無理だ。どうしてルビィはこの広いソファで、ひとの真横にぴったりくっついて座るんだ。そういうことを言うときにどうして目を見るんだ。なんて笑顔が可愛いんだ。
視線を自分のつま先まで逃がし、アクアはなにも言えない。だってルビィが、
「へんだよね」
って笑うから。そんなこと言われたら、おれも恥ずかしい、なんて絶対に言えなくなってしまうのだった。
「で、どうして俺んとこくんの」
ルビィにぼろくそ言われる夢でも見たか? とゴッドが冗談をいうのもわかる。たぶん迷惑なんだろう。そんなの来る前から分かっている。ゴッドは天界で夜勤明けの未亡人にご契約内容についての重要事項確認を行ったうえで契約書にサインをもらうため、仮眠の後に出勤予定なのだ。
でもどうしても聞きたかった。
「ゴッドはルビィに好きって言うの恥ずかしくない?」
クルスのような身内――と言ってもルビィの親族はクルス一人だが――を除いてルビィに平気で好き好き言っているのはこのひとくらいだ。アクアには考えられないことだが、ゴッドは女子が「可愛い」というのと同じくらいの頻度で、同じくらいのしょうもないシチュエーションで、好きを連発できるのだ。
「お前いますげー失礼なこと考えただろ」
「そうかなあ。おれはゴッドがそうやって思ってること言えるの、すごいと思うんだけど」
と、アクアは膝でにじりよって答えを迫る。
アクアが悪夢を見るたびに逃げ込んできたこのベッドも、だいぶん狭くなった。この家に来た頃と比べて、アクアはけっこう背が伸びたし、もともとでかかったゴッドも意外と残っていたのびしろをゆっくりと使い切ったあとだ。昔はこれよりもっと小さなベッドでフィーとふたり、身を寄せ合って眠っていた。いつの間に一人でベッドを使うことに慣れたのだろう。
そんなアクアの感慨を、寝そべった肩まで布団を上げて、とっくに寝る態勢を整えているゴッドはすっぱりと無視する。
「全然。別に普通だろ。ルビィのこと好きだし、お前もユールも好きだよ」
「グロウは?」
ぽんぽんと並べられた名前がひとつ足りない様な気がして聞くと、ゴッドが眉間にしわを寄せて起き上がった。
「アクア、この話グロウにもしたのか?」
「してないけど」
「ならいいけど」
ゴッドはそう言うとすぐまた布団に引っ込んだ。
アクアはグロウといろいろな話をするほうだが、グロウが誰かを好きと言うところにはなかなか行き会わない。そのなかでも、ゴッドのことを好きだと言ったグロウのことは、よく覚えている。ほんの数回、片手で足りるか、もしかしたら一回こっきりだったかもしれない。
ゴッドがグロウを好きだというのは、何度も聞いたことがあるようにも思えるし、聞いたことがないような気もする。
アクアがもやもやとそんなことを思い出すあいだに、ゴッドはしれっと、
「好きだけど、言ったらややこしいことになるから言わない。お前も言うなよ」
といつものようになんのためらいもなくその言葉をくちにしてしまうのだった。
なんのためらいもなく。
やっぱり好きなんて簡単な二文字を躊躇するアクアのほうがへんなんだろうか。布団の上に座りこんだまましょんぼりするアクアの膝下から、ゴッドが布団の角を引っ張り出してかぶせ、さっさと寝かしつけようとしてくる。
五時間後に早朝勤務を控えているひと相手にはあらがえず、アクアはおとなしく横になった。
「言えないといえば言えないのか」
かけてもらった布団の向こうから、存外真面目な声がした。
目と鼻だけ出して隣をうかがうと、当然のように目が合ってびっくりする。ルビィといい、どうしてこんなときに真正面から目を見るんだ。
そう思ってふと気づいた。ルビィは恥ずかしがらない筆頭だけど、ゴッドもそれとわかる冗談でしか恥ずかしいと言わない。
「わかった」
「急になんだよ」
「ゴッド、なんで俺のとこ来るのって言っただろ。なんでかわかった」
「……ひとが真面目に話してやってんのにお前な。つーか、お前ってほんとに俺に話があるときはここ来ないよな。もっと適当なとこで捕まえて用件言っていなくなるだろ、グロウみたいに」
「そう、それなんだよ。ううん、そうじゃなくて、えっと、ゴッドってときどきルビィと似てるから、ルビィの考えてることわかんないかなって、思ったんだ、たぶん」
閃いた瞬間は鋭利に整っていたはずのことが、言葉にすると急に尻切れとんぼになる。それでもゴッドにはなんとか通じたようで、
「だと思った。へんな夢見た以外で来るときって、だいたいそうだよな。もっと前は、あーほんとはフィーと話したいんだろうなーってこともあったけど」
「そうかも。そうなのかなあ? でもルビィには聞けないし……」
はあ、と布団のなかにため息をつく。でもそうだ、そのために代わりに参考になりそうな意見を聞きに来たんだ。そういえばさっき、ゴッドはなにか言いかけてなかったか。
「ゴッド、さっきなんか言ってたよね」
「言えないといえば言えないってやつ?」
こういうとき、欲しいことをずばりとピンポイントで答えてくれるのがゴッドのすごいところだ。逆に、のらりくらり的を射ない回答をされ始めると、アクアではどうしても詰め切れない。
「言わない、じゃなくて、ほんとに言えない?」
ほんのわずかな言葉の違いを問うと、ゴッドはようやく視線を外して、ううん、と悩んでいるような声を出した。
「理由はどうあれ、言えないことには変わんねーなって。言った結果を避けてる、精神的負荷がある、そういう意味では恥ずかしいってことなのかもな。というか、お前が気にしてたそのまんま、悪いことだと思ってる、とか」
「ゴッドがグロウのこと好きだと、なにか問題ある?」
グロウともたくさん話をして、聞いてきたアクアにとって、その言いざまは聞き捨てならない。自分からゴッドの横顔を覗きこんだけれど、今度は目も合わせない。
「それ自体に問題はなくても、わざわざ言うと問題になるんだよ。お前だって、ルビィがルサ・イルのことすげー好きなの知ってても、ルビィがいちいち、アルサのこんなとこが好き! って言うの聞いてるのは聞きたくないだろ」
それはそうだ、と思ってこっくりと頷く。でも例えとして当たっているのかはわからなかった。グロウはゴッドのことでよく機嫌を悪くしているけれど、グロウにとってゴッドは機嫌を悪くする原因たるほどの存在なのだ。アクアはそのことをグロウ本人に次いで理解している自信がある。
ほんとうは、グロウは好きと言って欲しいはずだ。だったら、言えない理由はゴッドのほうにあって、それが恥ずかしいからかもしれなくて、でも悪いことだとはアクアには思えなくて、でも、でも。
でもが重なりすぎて訳が分からなくなってきた。それに布団にくるまれていると、それだけで徐々に眠くなってくる。頭が回ろうはずもない。
「なんか、わかんなくなってきた」
素直につぶやくと、ゴッドはようやく視線をくれて、
「お前は気にしすぎなんだよ。あと、好きって言うの恥ずかしくない? って聞き方、相手によっちゃ、そんなに簡単に好き好き言うなんてみっともないって批難してるみたいに思われるからな」
気をつけろよ、と、言葉のわりに声は優しく、アクアは甘えることを許されたような気持ちになって落ち着きを取り戻す。
「……たぶん、みっともないのは好きって言えないおれのほうなんだ。ルビィも恥ずかしくて言えないなんてへんなのって、そういう意味で言ってたんだと思うし」
「もうけっこう恥ずかしいこと言ってるけどな、お前」
今度の声は呆れの度合いが大きかった。アクアにはその意味がよくわからない。ここにはルビィはいないし、ゴッドからアクアの話したことが漏れるわけがないし、だからこの安全地帯ではアクアは恥ずかしいと感じずに内心を整理できるのだ。
ゴッドが数秒沈黙したのち、なにか思いついたようにくちを開いた。
「じゃあさ、俺のことは好きって言えるのか?」
アクアは質問の意図をはかりかねる。言えると断言しても意味はなさそうで、言えないというほどのためらいもなくて、でもこの距離で目を合わせていると、ゴッドにそんなつもりがなくてもなんとなく迫力みたいなものに圧倒されて。結局、落っこちるみたいに声が出た。
「……好き」
「恥ずかしくないだろ。いや、お前の言い方はこっちが恥ずかしい」
「なんだよそれー」
励ますようなことを言った直後に、ゴッドは顔を逸らしてケチをつけた。
アクアはもっと説明がほしかったけれど、大きな手に目元を塞がれる。寝なさい、の最終通告だ。フィーだったらこういうときは布団を頭のてっぺんまで引き上げていた。きっとゴッドも小さい頃にやられていたんだろう。
ルサ・イルはルビィにどうやって寝なさいを伝えていたんだろう。それともいつまでも夜更かしを許していたんだろうか。目を閉じて、フィーの指が髪を梳く感触を思い出す。ルビィもルサ・イルにそうやってあやされていたのかと思うと、なんだか胸の底がざわついた。その理由を追いかける間もなく、眠りは潮のように満ちていった。
だいぶ前に書き終えていたけど、いまになって結論を見つけないほうが美しくまとまるなと気づいたので完結