アクルビ アクア視点三人称
アクルビ アクア視点三人称
ドアを押すと、廊下の照明による光の線が静かに部屋の奥へと伸びた。
きい、というまで開けきって、アクアは戸口に立ち尽くす。暗い部屋にはドアのかたちの光と、アクアのかたちの影だけが入り込む。
足元にはぐしゃぐしゃのマントが打ち捨てられたように広がっていた。
裾のあちこちがほつれて、泥に汚れて、大きく裂けている砂色のマント。それが風を孕んでたゆたう様を思い出す。どこまでも大きく見える、彼女の背中を思い出す。
マントの向こうに帽子が落ちていた。汚れた指で掴んだのだろう、その輪郭のとおりに汚れて、羽飾りは根本から折れて羽毛を溢している。そのそばにはベルトが丸まっていて、そこから留め具ごと外した鞘も転がっていた。剣は鞘にぴったりと収められたままで、魔力を得てぎらつくような銀の刃は見えない。
さらに奥には、ピンク色の木靴が二足、てんでばらばらにひっくり返っている。底に近い部分は擦れて塗りが取れていた。それに半分被さるように、長袖の上着と、同じように脱皮したズボンがからまって脱ぎ捨てられていた。
そこまでを、ゆっくり、ゆっくりと目で追って、アクアは浅く息をつく。深呼吸はできなかった。この部屋の空気を胸いっぱいに吸い込むなんて、とても。
あとすこし、目線を上げればそこにあるもの。それを目にするのがこわくて、アクアはためらう。ドアノブを掴んだままの指に、汗が滲んで滑りそうになる。手が震えて、ドアノブがかちゃりと音を立てた。それに反応して顔を上げる気配がある。
「アクア」
ああ、呼ばれてしまった。
覚悟もなにも用意できないままに、アクアは顔を上げた。
くらい部屋のなかにほのじろく浮かぶ、裸の半身。ドアのかたちの光は、ぎりぎり彼女の膝元まで届いていた。
ルビィが振り返った。頬、首筋、胸のまん中、腹から下着に差し掛かるまで。アクアには致命的に思えるような怪我を手当てされて、ルビィはあっさりと言う。
「えへ、またやっちゃった。ごめんね、心配かけて」
軽すぎる言葉に、アクアのなかでなにかがずんと重さを増した。もう絶対にこの場から一歩も動けないような気がした。
精霊を脱ぎ捨てて、ただの傷だらけの少女がわらっている。笑って、アクアを呼ぶ。彼女をこの惨状に導いたアクアを。
そうだ、アクアが、アクアの書いた魔法陣が、ルビィをこんなめに遭わせた。アクアはこんな小さな女の子に可哀想なことをしたのだ。
息が詰まって返す言葉を失うアクアのまえで、ルビィがのうてんきな笑みをほどく。瞼がすいと持ち上がって、両の目がアクアを射るように見つめる。
深く、燃えるように真っ赤な瞳だった。力強い目だった。ちからそのものだった。
そこにもう、傷を負った可哀想な女の子はいなかった。おのれの強大さを誇り、胸を張る精霊だけがそこにいた。
ああ、とアクアは思う。ようよう、名前を呼び返す。アクアの信じた精霊の名前を呼ぶ。
「ルビィ」
「うん、もう大丈夫」
ルビィはアクアなんかでは遠く及ばない強さをそのままに、花のほころぶように笑った。
ルビィの精霊としての核はルビィ自身、という話。