花火する話 アクア視点三人称
花火する話 アクア視点三人称
夏休みが始まって最初の週末を前に、夕方のスーパーは平日にしては混み合っていた。会計待ちの列に並びつつ、アクアはそう重くないかごの中身を見下ろした。
クーラーをつけるかつけまいか、五人の家では多数決だ。ユールはどっちにも手を挙げないので、最後は各組の代表者がじゃんけんでユール票を奪い合う。今日はルビィがひとり「暑い! クーラーつけよ!」と言い出し、グロウとゴッドがまだいらないと言って、アクアも我慢できなくはなかったから、諦めてアイスでも食べて涼もうとルビィを誘った。が、二人して覗きこんだ冷凍庫には使い残しの冷凍食品しかなく、やっぱりエアコン! と再び騒ぎ出す寸前のルビィの手に、グロウが小銭入れを握らせて言い放った。
「なんか冷たいもんでも買うてきや。スーパーは涼しいで」
というわけで、買い物かごにはアクアが選んだカップのバニラアイスと、ルビィが最近気に入っているソーダ味の六本入り箱アイス、それに桃がふたつ入っている。グロウは季節ものが好きなのだ。
ひとり、先頭の会計が済んで列が進む。一歩レジ台に近づいたアクアに、ルビィがもっと擦り寄ってきてたずねた。ちっこい手がアクアのアイスを指している。
「ねえ、これ何円?」
「二百円ちょっと、だと思うけど」
たぶんこれを二個でルビィの箱アイスが一個買えるぐらいだった。そう思いながら答えると、ルビィは突然両方のアイスをかごから取り出して、
「返してくる」
「えっ? あっ、ちょ、待って! えっ、えー……」
アクアが止めるのも聞かず、すいすいと列を逆走して冷凍コーナーへと消えていく。アクアは突然の仕打ちにただ呆然とするだけだ。
ルビィは会計の順番が回ってくるのと同じ頃に戻ってきた。店員が慣れた手つきで桃のバーコードを読み取ったあとへ、
「これも!」
と差し出されたのは、
「花火……?」
「やったことないでしょ。やってみたくない?」
そんなこんなで、アクアとルビィはまだ常温に近い桃と、冷たくもなんともない花火を買って帰った。
当然、グロウは呆れた。
「花火い? どのへんが冷たいが?」
桃を冷蔵庫にしまいながらの嫌味はそっけない。夕飯のあとに剥いてくれるのだろう。
「スーパー涼しかったから冷たいのもういいやって。あたし、こういう花火したことないんだ。お城の式典とかで打ち上げてるやつしか見たことなくて」
ルビィも初めてというのがアクアには意外だった。花火のこと自体は学校で聞いて知っていたが、そもそも魔界にも同じようなものがあるのだろうか。
「うちはちっちゃい頃しよったわ。年始によう売りよったき、いまもありゆうろう」
グロウの反応は芳しくない。それをみたルビィは巻き込む範囲をリビングへ拡げた。
「ねえねえゴッド、花火しよー。アクアと買ってきたの」
グロウから色よい返事が得られなければゴッドを当たるのも、勝手にひとの名前を出すのも、ルビィの常套手段だ。
「なになに。へえー、人間界の花火ってこんななの」
とか言って、ゴッドに色とりどりの文字が躍るパッケージを握らせた時点でルビィの思う壺だった。とどめに、並んで座っていたユールにも声を掛ける。
「ユールは? 花火したことある?」
「ない」
それを聞いたルビィは、ね? と言わんばかりの笑顔で振り返った。アクアの隣でグロウがあんまり困ってなさそうなため息をつく。
「まだ明るいき、ご飯のあとね」
夕飯後、グロウがどこからかスチールバケツを出してきた。ルビィはマッチと蚊取り線香を用意して準備万端だ。
「それで火つけるの?」
アクアがルビィの装備を指差して聞くと、花火の裏面を読んでいたユールが、
「これにローソクが入っている」
と説明してくれた。なるほど、と覗きこませてもらったビニールには小さい文字と見慣れない図解がびっちりプリントされていて、アクアはすぐに読む気を失った。この手の文字情報には、ユールは強い。
「玄関開ける前に電気消すでー」
グロウがドアの脇に立ってみんなを急かす。はーい! といつもいい返事のルビィを先頭に、ぞろぞろと戸口を出る。
この家に屋外照明のたぐいはついていない。外は門の向こうもこちら側も、同じくらいの暗い夜だった。数軒離れたところにある街灯が、二階建てのアパート越しにほんのり白い筋を寄越している。
「早くー! 先にこっち火つけるよー」
庭と呼ぶにはそっけない、家と門のあいだのちょっとした空間の真ん中に、ルビィが軽やかに走っていく。これっぽちの光では全然目が追いつかないでいるアクアを、グロウとゴッドは苦もなく追い越して、
「まだで。勝手なことして草焼きなよ」
「つーかその蚊取り線香でお前の嫌いな虫って防げんの?」
水を張ったバケツを置いて、気休めの蚊取り線香を設置して、たぶんこのなかでいちばん暗闇でも不自由しないユールから花火を受け取って開封して――アクアからすればうそみたいにてきぱきと動く。
「まあこのへんはアクアのおかげで大丈夫そうなね」
台紙にセロテープで貼り付けられた花火を剥がしながらグロウが言う。この庭は放っておくといくらでも雑草がはびこってジャングルになる場所だった。しばらくは交代で草を刈ったり毟ったりしていたが、夏など五人がかりでも追いつかない。いまは四方にアクアの魔法陣を埋めて、草のまばらな状態を維持しているのだ。
その隅での開封作業にアクアも加わった。ルビィが白いローソクと厚紙のスタンドを抜いていって、
「これここでいい? マッチ擦ってー」
自分でやればいいのにゴッドにねだっている。不思議なもので、ルビィは機嫌が悪いときほど自分でやり、ご機嫌になると自分でできることまで人任せにするのだ。
「反対っかわに火つけたら危ないき、向き揃えるがで」
グロウに説明されつつ、アクアは台紙の上に花火を並べていった。すこしずつ色や形や模様が違う。こっちかな、と当てずっぽうで置いたものを、ユールの手がすいとつまみ上げて反転させた。
「反対だ」
「これ、どれがなにとかわかるのか?」
たずねてみると、ユールは「わかる」と答えた。
「教えて」
「ススキ花火、筒型花火、線香花火」
どういう花火かは説明されなかった。パッケージには書いていなかったのだろう。
「やってみてのお楽しみ、だね!」
「わっ」
いつの間にか火元のセッティングを終えたルビィがそばにしゃがみこんでいた。
「あたしこーれ」
適当な一本を掴んですぐに身を翻す。アクアは振り返ってその光景を見た。
ルビィが細い棒をちいさなローソクにかざす。こよった和紙がすぐに燃えてじりじりと身をよじる。炎が火薬の膨らみにかぶさって、
「あっ」
うれしそうな声と同時に、しゅっ、と最初の火花が走った。黄色い閃光が、ルビィの手の角度にあわせて斜め下へ吹き出す。その根元から白い煙が溢れて夜風の流れを可視化する。
「見てー!」
と、ルビィは満面の笑みを照らす光源をいきなり高く振り上げた。
「こらっ! 振り回さん! 胸より上に上げん!」
「はあーい」
即座にグロウに叱られて、しょんぼりと光の稲穂が垂れる。その色はいつの間にか緑に変わっている。ほう、と感心のため息をつくアクアに、グロウがルビィと同じ花火を手渡した。
「どうぞ」
ルビィのおこぼれの光のなかで、グロウは意外と楽しそうに笑っていた。
アクアはそっと立ち上がって、庭の真ん中にぽつりと立つローソクに歩み寄る。そして、おそるおそる紙の先をローソクに近づけた。赤い紙があっという間に黒くなる。火花はまだ出ない。
「あれ?」
「もうちょい、こう」
見ていたゴッドが横から手を出して、和紙のねじり目を火につっこんだ。一拍遅れて、しゅっという軽い音とともに眩い色の火が吹き出る。
手の先に軽い振動が伝わってその勢いがわかった。そのまま見とれそうになるのを、
「はい離れて。順番な」
ゴッドに誘導されて横へずれる。アクアのうしろには、ユールが紙を巻いていない花火を手に並んでいた。その次にはグロウがいて、なんと五本も握っている。
すでに一本目を終えてしまったルビィが、それを見つけて文句をたれる。
「あっずるーい! あたしには危ないとか言ったのに!」
「誰もいっぺんにつけろうとはしやせんろ。それに、うちがしよったやつからしたらしょぼいし」
グロウは持っていたうち三本をゴッドに渡し、あと二本を左右に持ち替えていた。そのうちにユールの花火からばちばちと小さな雷のような火花が散り始める。ゴッドがそれを眺めて、
「たしかにあれと比べたらおとなしいか。半分爆弾みたいなやつあったよな」
と言うものだから、案の定次は二本持ちをしようと選んでいたルビィが、
「なにそれ! あたしそれもやってみたい!」
と目を輝かせた。
ふと暗さを感じて視線を落とすと、アクアの花火はとっくに消えていた。色が変わるところを見逃した。
「バケツあっちね。燃え残っちょったらいかんき、しっかり水に浸けちょって。次取ってきや」
「うん」
離して置いてあるバケツに花火を突っ込むと、燃え終わったはずの先端がじゅっと熱い音をたてた。
二本目も、同じやつにしよう。今度はちゃんと色の変わり目を近くで見てみよう。そう思って、さっきと同じ柄を探す。
背後にいくつも明るい火が増える。振り返ると、結局ユールも、ゴッドが持たされたうちから一本をもらって、みんな両手に花火を提げていた。
赤、緑、紫、白、とりどりの光は途中でさらに青、オレンジ、と姿を変える。夜風が筋状に昇る煙を乱して吹き散らしていく。
「はいっ、次アクアの番だよ!」
ローソクの前をひらりっ、と飛び退いてルビィが誘う。
アクアは、さっき探し出したのに加えてもう一本、両手に花火を取って立ち上がった。
十種類近くあっただろうか。ほとんどの花火を一本ずつは燃やしてみて、ルビィはすでにだいぶ納得がいったようだった。
「遊んだーっ! 暑い! 花火って暑いね! あと煙い!」
伸びをして言うルビィに、ゴッドが、
「そりゃあ、火使ってるからな」
といちいち取り合ってやっている。
ルビィほど飽きの早い性分でないアクアは、まだ色の変わる花火が面白くて何度もローソクと花火の山を往復していた。二本持ちは派手だけれど、色の変化をじっくり見るには急がしすぎる。ちょっとでも近くで見るために、途中からはしゃがんで火花を見つめていた。
「面白い?」
後ろからゴッドに聞かれて、アクアは振り向きもせずにこっくりと頷く。ゆっくりと上下した視界で、黄色い火花がピンク色に変貌した。
「……なんで色が変わるのかな?」
「炎色反応だ」
答えたのはユールだった。じじじっ、と最後の声を上げて火が途絶える。夜の闇が戻った、そのなかにユールが立っていた。
「えんしょく?」
「来年習う」
そっか、と返したが、用語の雰囲気からすると化学だろうか。選択科目だったら習わないかもしれない。そのことを言いかけたとき、向こうからルビィとグロウの声が揃って、
「あーっ!」
と言うのが聞こえた。なんだなんだと近寄ってみると、ふたりはローソクの前を陣取って、なにかを手にしゃがみこんでいた。
「なにしてるの?」
「線香花火」
思いの外、真剣な声でルビィが答える。花火の山の、隣に分けてあった細いこよりのようなものがその指先にぶら下がっている。ふたりはその残っていた線香花火も、バケツも近くに持ってきていた。とりあえず、アクアはそこに最後の花火の先を浸す。
空いた手にルビィが線香花火を差し出してきた。
「これ、いちばん長くもったひとが優勝ね」
そう言って全員に一本ずつ配り、順々に火をつける。
同時に点火することはできないのに、どうやって計るんだろう。アクアは疑問に思ったが、それをくちにすることはなかった。
指の先へと、紙を焼いて上ってくるかに見えた火は、吹けば飛びそうな紙だけを頼りに、ちいさなちいさな火球へとまるくふくれる。真っ黒い夜を背景に、その輪郭はくっきりとして、だがどこか弱々しく揺れている。
やがて火の玉は、じ、じじっ、じっ、と鳴きながら、オレンジ色の火花を吐き出し始めた。上下左右に走るか細い稲妻は、手に触れるのではないかと思うほど近く、アクアははっと息をのむ。それでも離そうとは思わなかった。赤と黄色のこよりになんとか繋がっているこの火が落ちたときが終わりなのだとわかったからだ。
けれどそう思い始めてから間を置かず、光はふっつりと千切れて地面に落ちた。
「あー……」
さっき、ルビィたちが声を上げていたのがわかる。なんだかとても残念だった。
ふと周りを見ると、すぐ横にいたユールの手の先で、アクアのと同じように火が落ちるところだった。
「ユールが優勝か」
「なんかわかるわ。上手そう」
ゴッドとグロウはそう言うが、言い出しっぺのルビィはすでに次の五本を握りしめている。
「二回戦!」
そんなこんなで五回戦までやった。優勝は、二回生き残ったアクアだった。緊張で息を止めてしまっているのが功を奏した、のだろうか。ルビィ以外は一回ずつ勝っているのだから、偶然のような気もする。
「撤収するでー」
ルビィが蚊取りを回収しにいき、グロウがローソクを消そうとする。それをゴッドがとめた。
「まだ一本あるけど。ルビィ、これ何本入ってた?」
「じゅっぽんの束が二つとー、あとバラ!」
「じっぽんな。二十五本でセットってわけじゃないのか」
片付けかけていたパッケージを見ながら言って、ゴッドはその頼りない紙の花火を、アクアに寄越した。
「やるよ」
ゴッドはほかのみんなが楽しそうにしていればそれでいいらしいし、ルビィは謎の大会も終えて満足しきっているし、グロウは半分気持ちが片付けに移っているし。
おれがやってもいいかな、と思ってローソクのそばにしゃがんで、アクアはふと手を止めた。
「ユール。これ、最後の一本ユールがやってよ」
息を詰めないで、誰かの持っている線香花火をじっくり見てみたかった。アクアのそんな思いつきで、五人は膝を寄せ合って、ユールのほっそりした白い指が支える、一本の花火を見ることになった。
じっ、じじっ、と、火の玉が鳴く。熱いはずの火球は、どこか涼しげにさえ見えた。糸のような光が四方に弾ける。
線香花火。どうしてそんな名前なのか、アクアにはわからないけれど、これはずっと見ていられるなあと思った。
次第に飛び散る火花は減って、その勢いを減じていく。ずっと見ていたいけれど、もう間もなく終わってしまう。発していた火花を飲み込むように、火球が静まる。輪郭を繊細に揺らしながら、どうすればほんとうにまん丸になれるかを探すように身もだえる。
静かに、息を殺して、みんながそのちいさな火の玉だけを見ていた。
そして全員が見守るなかで、ふつり、と紙の先を離れた。
あっ、と思う間に、墜落した火球は光を失って、暗がりではその煤さえ見えなくなった。
ふかぶかと息をついて、アクアはまた息を止めていたことに気づく。なんて緊張するんだろう。でも楽しかった、そう思うのと同時に、
「楽しかったー!」
立ち上がったルビィが両手を突き上げて背を伸ばしながら言った。それを皮切りに、めいめいが中断していた片付けに戻っていく。
ユールがなにも言わず、ただの紙切れみたいになった線香花火をバケツのなかに落とした。じゅっと冷める音さえなく、和紙は水面に横たわった。
そのバケツを持ち上げたアクアの隣に、大事な蚊取り線香を握ったルビィが駆け寄ってくる。
「楽しかったね。またやろうね」
「うん」
グロウが玄関を開けて、
「虫入るき、早う!」
と呼ぶ。屋内からの明かりがルビィの肩に当たって、もう虫刺されができているのを照らす。アクアはちょっと笑ってしまって、不思議そうな顔をするルビィの背を、
「早く戻ろう」
と促した。
00年代後半の夏はクーラーなしでも耐えられる暑さだった。