呼び出し

アクアにへんな時間に呼び出されて迷惑する空也 本編後 空也視点一人称


 階段を駆け下りた勢いでノブを押し込んだら、ドアはバーンと音を立てて開いた。
 自分でやっておいてびっくりしながらその部屋に入ると、この家の家主がぼけっとした顔を上げるところだった。
「空也、やっと来たな」
「やっとじゃないよ! いま何時だと思ってるの!? やっとのことでは来たけどさあ!」
 だだっぴろいコンクリ打ちっ放しの地下室には、小さな置き時計が転がっている。正確に示された時刻は三時。午後じゃない、午前だ。
 そんな非常識な時間に僕を呼び出したアクアくんは、悪びれもせずに膝を崩して、
「ゴッドとまたけんかした?」
「今日は泊まってないよ。ていうか泊めてもらえてないよ」
 アクアくんの早朝――僕は真夜中だと思うんだけど――のお呼び出しは、これが初めてではない。どころか常習犯だ。そういうときは前の晩に城を出してもらって、ゴッドくんの実家に泊めてもらって、エメリアの手を煩わせずにアクアくんのところまで行く、というのが最近の定番だった。けれど、
「あのねえ、僕がゴッドくんちに泊まれてたのはなんでだと思う?」
「エメリアがお城の残業規定に引っかかるからだろ」
「違うよ。アクアくんが頼んでくれるからだよ。僕が頼んだってダメなの。わかる? 今回アクアくんから頼んでくれた?」
 畳みかけるように言うと、アクアくんはさすがにしまったという顔をした。右手がペン皿に伸びて古い万年筆を置く。僕はそのそばに腰を下ろして、床に広がる書きかけの魔法陣を眺めた。いつ見ても綺麗だ。
「次からおれが頼むよ。でも今日はどうやって来たの?」
 そういうことじゃなくて、アクアくんがもっとまともな時間に誘ってくれたらいいだけなんだけど、と思いつつ、僕は答える。
「エメリアに早朝出勤してもらったよ。昨日はもともと昼過ぎからお休み取ってたし」
「外出許可は?」
「当直のユールつかまえて書いてもらった」
「みんな忙しいんだなあ」
 どういう話の飛び方なんだろう。アクアくんはときどき、なんというか、不思議ちゃんの気があるんじゃないかと思うようなことを言い出す。それはきまって魔法陣に思考を奪われているときだから、ほんとうにそっちに集中しているんだろう。僕といまこうして会話しているのは、眠っているひとが寝ぼけてしゃべっているのと変わらないんじゃないか。ときどきそんなふうに考えてしまう。
「アクアくんも最近忙しいの? 僕は暇だけど、不自由な身だからさあ、普通に明るいうちに呼んでもらえると助かるなあ」
「最近てわけじゃなくて。締切が一気に来ること多くてさあ、今日は昼まで休みなんだけど」
「またそのパターン?」
「うん。昨日は六時上がり」
 アクアくんは僕の顔も見ずに平気で首と肩をひねっている。
 六時ってことは、家に帰ったのが七時で、ご飯食べて八時には寝て、今朝――まだ夜だけど!――起きたのは二時ごろだろうか。立て込んだ仕事が片付いたあとの、行き過ぎた早寝早起きと早朝お呼び出しはアクアくんの得意技だ。
「でも半日休みなら、前の晩、君のところに泊めてくれればいいじゃない」
 そうしたらエメリアも早朝出勤しなくていいし、ゴッドくんにイヤイヤお守りをしてもらわなくてもいい。なのにアクアくんは、さも心外というふうに、
「そんなことしたら寝ないで仕事出なきゃいけないだろ」
「いやいや、寝れば? 僕、魔法陣はエメリアに取り上げられてるし、君が寝てる間に家捜しとかしないから」
「そうじゃなくて、空也が寝かせてくれないからー」
 インクの瓶をじゃぶじゃぶ振りつつ反論される。それなら僕にだって言い分がある。
「アクアくんが勝手に起きてるだけでしょ。僕が来たら嬉しくなっていっぱい書いちゃうから」
「だって空也のダメ出し細かいんだもん。直してたらあっという間に時間過ぎるし、いつまで経ってもオッケー出ないし。前に一回夜に来て朝帰っただろ、あのとき仕事行ったら何枚も書かないうちから肩とか腰とか痛くって。仕事になんなかったよ」
「それは君の姿勢が悪いせい!」
 崩した正座のまま書きかけの紙に向かってからだを倒している、丸くなった背中をはたく。アクアくんはへんな声を出して一旦は背筋を伸ばしたけど、すぐにまるく伏せてしまう。
「仕方ないだろ、この部屋、机もなにもないんだから。床は堅いし冷たいし、書き通しでまた腱鞘炎になったらどうしてくれるんだよ」
「持病の面倒まで見れないよ。それに、好きで書いてるくせに。ここ上下でつなげたほうがよくない?」
 斜めに陣を横切るパーツを指差すと、アクアくんはくるりと紙を回して、
「こうしよう」
 斜めだった線が縦にまっすぐ伸びる。たしかに上下につながったけど。
「そういうところが修正を長引かせる要因だと思うんだけどな」
 アクアくんは顔と繊細な筆致に似合わず、たまにとても大胆な、ともすれば雑な構成を取る。そしてそれが最後の方で致命的な矛盾となって立ちはだかり、大きな修正を余儀なくされるのだ。
「大丈夫だって、大筋はこれでいけるはずだ。それより見てよ、ここの連結。段数変えてみたんだ」
 ペンのおしりでこつこつやって、アクアくんが魔法陣の奥のほうを示す。僕も見たことのない線の組み方だ。こうやって新しいアイデアを見せてもらえるのは素直に楽しい。
 そのうちに、アクアくんは紙の端っこに肘を突いて、冷たい床に寝そべった。インクに汚れた手がふたたびペンを握る。本格的に制作に戻るらしい。
 見下ろす陣は半ばまで組まれて、人間で言うと対の内臓が半分ずつだけあるような、奇妙な姿をさらしている。それでも美しく思えるのだから、才能というやつは恐ろしい。
「早起きしてでも来る価値あっただろ?」
 紙の上をなぞる視線は上げず、アクアくんが言う。意外だった。いつも書き始めたら黙ってしまうのに。
「ああそうだね」
 僕がそう答えると同時に、ぬれて光るペン先がふわりと紙に降りた。


2017/10/12

空也には遠慮がないアクア