なんてひどい

アクアとうらろ事務所の所長 三人称


「仕方ねえよ」
 分かっていた。
「仕方ねえよ、ルサ・イル」
 そういうものだとは分かっていた。つもりだった。
「俺たちが生み出すのは道具だ。そして俺たちの担当は、生み出すところまでだ」
 机の上にはひどい言葉ばかりが並んだ紙面が乱雑に広がっている。その輪郭すら目に映したくない。けれどそれを閉じる気力もない。
「客が買っていった、その先でどうなるかまでは手を出せない。なあ」
 優しい手が、なにかを払い落とすかのように頭をなぜた。
 アクアは所長に抱き着こうとして、やっぱりやめて、でも腕に縋って泣いた。

 生きていた中で一番ひどい言葉だった。まったく予想もしない方向から注がれたそれを、アクアは目を閉じる間もなく全身に浴びた。
 すぐに優しい人たちがやってきて、手に手にタオルやハンカチを持って、浴びせられたものを拭いてくれた。それでも冷たくなった裸足で歩けば、粘度の高いそれはねちねちと足の裏で存在を主張した。紙で切った指先の傷に、それがめちゃくちゃにしみることに遅れて気付いた。
 その傷にも大好きな人が絆創膏を貼ってくれた。汚れた服だって着替えさせてくれた。あったかいお風呂に入れてもらって、明日からは普通に、普通にと思ったそばから、せっかく落としたものをびしゃびしゃとかけられた。
 外はもう雨のように、降りしきるそれで立ち込めていた。大切な人たちが寄せ合ってくれる傘の下で、アクアは小さくなって泣いた。足元にできたどろどろの水たまりに、透明な涙がいくつも落ちては弾かれた。

「ごめんなあ」
 抱き着かなかったアクアを、所長は空いた方の腕で抱きしめる。アクアは好きじゃない、でも事務所では一番人気のインクのにおいが、攻撃的に鼻に染みた。だからいやだったのに。そう言いたいけれど、しゃくり上げるばかりで何も言えない。
「本当は、俺がお前を守らなきゃいけないんだよ。お前が、お前の書いたものをどうにもできなくなっても、俺は、お前が書いたものがお前を苦しめないように、目を光らせてやらなきゃいけなかったんだ」
 それはできない、仕方ないと言ったくせに、所長はたっぷりの後悔をこめて、大事な利き腕を抱く。
「確かにあれを書いたのはお前だ。そのために使った道具がお前の体だ。お前の書いたものはお前でできてるんだ。だけど、それを使うのは違う。使う奴は他人で、お前にはどうしようもない。だから仕方ねえ。どうしようもないのは仕方ねえけど、お前を悪く言うのは間違ってる」
 でもとかだってとか、意味のない言葉は泣き声になった。息が苦しいくらい泣けて泣けて、立っていられるのは背中に回った手のおかげだった。やっぱり抱きしめられてよかった。インクのにおいも慣れておさまってくる。
「間違ってるから、言わせちゃだめだったんだ。そんなおかしいこと言わせちゃならない、お前に聞かせるなんて、絶対」
 そこで所長の息も詰まった。
 アクアも分かっている。そんなのは所長の仕事じゃない。だってそんなの、できっこない。全部なんて誰にだって無理だ。だけどその無理を、しなきゃいけないと強く思う人がいる。無理でもやるんだと心に決める人がいる。
「アクア、ごめんなあ。守ってやれなくてごめんな……」
 ルサ・イルになってから、めっきり呼ばれなくなった名前で呼ばれた。アクアがびしょ濡れのべたべたで事務所に逃げ込んだ時に、所長は真っ先にそう呼んだのだ。
「お前に、父親をしてやれなくてごめんなあ……」
 父親を知らないアクアは、所長が本当に父親をできていないのか判断することもできなくて、うなずくことも首を振ることもしなかった。


2014/4/14

中盤の暗喩祭りがやりたくて
ルサ・イルの陣が犯罪に使われた! とかで世論にぼこぼこにやられちゃったようなイメージ