ゴッド誕生日短編2014 ヒルダ視点三人称
ゴッド誕生日短編2014 ヒルダ視点三人称
こち、こち、こち、と時計の針が音を立てる。さりさりと、滑らかな紙の上を鉛筆が走る。それ以外には何も聞こえないような静かな部屋に、
「あ、零時……」
小さくぼそりと、低い呟きが落ちた。ヒルダは鉛筆を握る手を止めて声の主を見やる。それから壁に掛かった時計を見上げた。
「あらほんと。時間の経つのは早いわねー」
ヒルダのお気楽な感想に、机の対面からぎろりと睨み目が飛んだ。強いオレンジ色の瞳に睨み据えられて、ヒルダはきまり悪く尋ねる。
「な、何よ」
ヒルダと向き合って座る少年――ゴッドは、20分ほど前から同じ頬杖のまま、空いた右手でカレンダーを示す。
「納期、過ぎたんだけど」
先ほど終わったばかりの四月十四日、その欄には大きな丸がつけられている。二週間前にやってきたゴッドが、いつものようにグロウからだと前置いて提示した注文、その期日が昨日だった。
ゴッドは深々とため息をついて時計をじっと見ている。〆切破りは初めてではないというのに、何をそんなにがっくりきているのだかヒルダには不思議だった。
「いいじゃないの、寝て起きるまでが今日よ」
「んな屁理屈が通るか」
「そう言わずに。ほら、そんな憂鬱な顔してちゃ男前がもったいないわよ」
「オカマに、それもお前にかっこつけたって何も得るもんねーだろ。ていうか、はああ……俺この24時間、細切れの仮眠とお前の手伝いしかしてねえ……昨日誕生日だったのに」
机に突っ伏して吐き出された最後の言葉に、ヒルダは丸く目を見開いた。
「誕生日、ですって? いつ?」
「昨日つったろ。十四日」
「いくつになったのよ」
「お前の13下」
「……なら十六さ」
「たかだか二歳をサバ読んでんじゃねえよ、みっともない」
「三十路きたかどうかは重大問題よ!」
ではあるが、ヒルダの実年齢は三十一歳。ということはゴッドは十八歳か。
「だけどまあ~、十八歳。そうだったの、知らなかったわあ。というか、なんでそんな日に夜中からあたしのところへ?」
本人が言ったように、ゴッドは誕生日の24時間を丸ごとヒルダの家で過ごしている。前日の夜遅くにやって来て、それからずっとだ。
「来た時言ったろ。グロウの使いっぱで出かけてて、用事済んだのが日が変わる直前だったから、お前の仕事も終わってるかと思って寄ってみたんだよ」
よくあることだが注文の品はできておらず、ヒルダはゴッドの催促を「あと二時間で仕上げるから! 仮眠でもしてて!」とかわした。しかし半分も終わっていなかった作業は二時間では片づかず、その上同じ納期の事務所の仕事をすっかり忘れていたことが発覚したのだ。「それでも大人か」と痛い嫌味を聞きつつ、ヒルダは死に物狂いで事務所の仕事をこなした。当然徹夜で机に座りっぱなし。ゴッドは数時間寝ては起きて、食事を構えたりファイリング等の作業を手伝ったりしてくれた。
それでも結局、すべてが終わったのは夕飯時だった。事務所から後輩を呼びつけて完成したファイルを渡すと、徹夜の疲れがまとめて肩にのしかかってきた。またもゴッドにご飯の支度を頼んで、一時間だけ、と仮眠させてもらったのが失策、目が覚めたときにはすでに夜は更け、見上げた時計は無情に十時を指していたのだった。
そんなこんなでグロウからの依頼に取りかかったのは一時間半前。完成まではもう一時間といったところか。
しかしこの件についてはもう十分に謝罪もしたし感謝の意も述べ尽くした。それに今日はこれ以上お叱りを受けたくはない。というわけでヒルダは自分の失態から話をそらし、むしろゴッドを責める。
「あなた、今夜帰らなくて良かったの? お誕生日お祝いしてあげようって子がいるんじゃないの?」
指の代わりに鉛筆で、後ろ暗いであろう胸をターゲット。我ながらいいところを突いてやった、という気分だったが、ゴッドは平気な顔で鉛筆の先を見返してくる。
「そんくらい考えたわ。あいつらなら、一日遅れてごめんなーで許してくれるよ」
「二股かけてる男みたいな台詞ね」
だがけろりとそんなことを言ってのける様は、恵まれた容姿にしっくりはまっていた。
「クリスマスのイブと当日で別の女に会ってそうだわ」
「その知識どっから仕入れた」
「グロウに聞いたの」
「くっだんね」
鼻で笑ってまた頬杖に戻る。この話はここでおしまいと見たようだった。けれどヒルダはもう少しと粘る。何かが引っかかるのだ。それと、いい加減手首が痛いので休憩もかねて。
「……あなた、周りの人たちのこと好きなのよね?」
「ヒルダの言う周りの人がどこまでかは知んないけど、そう」
「あたしのことも好きなのね?」
「もちろん」
意外な即答だった。何だよその質問、とでも言われるかと思ったのに。ヒルダとて十歳の頃からを知っている子供に慕っていると明言されて嬉しくないわけではないが、拍子抜けしてしまいそうでもある。それに疑念も一つあった。
「ほんとに? 大人の女性に対する敬意とか一切感じたことないんだけど」
「お前はオカマだろ」
と、これはいつもの返しだ。ヒルダ自身「あたしは女」と言い張ってはいるが、別段性別に基づくアイデンティティなど求めていない。陣書きとしての己さえ認められればそれでいい。女よ、オカマだろ、の応酬は単なるお約束となっているのが実状だ。
いつもはそこで終わるやりとりに、今日はゴッドが一言続けた。
「こんなこと言う俺は嫌い?」
言葉の幼さにふさわしい甘い響き。机にぺったりともたれかかって、ちょっと顎を引いて首を傾げて、底に夕陽を反射するみたいな瞳がヒルダを見上げる。今年で十八歳と言ったか。実を言うとヒルダは普段の大人びた態度から、そろそろ二十歳だったかしらーと思っていたのだが、今の様子はサバを読んで計算した十六歳ぐらいが適切に思える。
これをいつもどんなところでやっているのだろうと思うと心配にもなったが、舌を巻かされたのも事実。ヒルダは感心と呆れを込めて息をつく。
「ホストでもやったら儲かるんじゃない」
「それもグロウに聞いたの? お前らどんな話してんだよ」
からりと笑って、魔法を解くみたいにあっさりと、ゴッドは媚び媚びに作り上げた雰囲気を消し去った。なんとまあ恐ろしい子供もいたものだわ……ではなくて。
「あなたね、嫌われなきゃそれでいいと思ってる? ごまかしたってだめよ。好きってそういうものじゃないでしょう」
「じゃあどういうものなんだよ」
拗ねたみたいな言い回しは、不機嫌を隠さないという意味では素直なものだった。彼ならきっと、心の機微に疎いヒルダぐらいいつでも簡単に煙に巻いてしまえるだろうにそうしない。理由は分からないが有り難いことだ。
「好きだから嫌われたくないっていうのも、確かにあるわよ。だけどそれ以前に、好きな子たちを待たせたくない、がっかりさせたくないって思わないの?」
うまく言いたいことが伝わったかは定かでないが、思うところはあったらしく、ゴッドがきまり悪そうに机の上に視線を巡らせる。反省しているらしき態度に気を良くしたヒルダは重ねて言う。
「うちの新入りくんとか、あのちっちゃい子とか、良い子ちゃんだしお子様だし、仲間の誕生日なんてはりきってたんじゃないの? 今夜だってあなたが帰ってくると思って起きて待ってたかもしれないわよ。新入りくんは事務所の方お休み取ってたみたいだし」
言い募るうちにゴッドの頭はどんどんうつむいて顔が見えなくなる。ヒルダはどんどん調子づいて説教を連ねて――
「だからね、あたしは思うのよ」
「おい」
「あたしに愚痴る前に、あなたは帰ればよかったじゃない」
「なあ」
「何も一日いなくったってあたしは――」
「話聞けよ! 自分の説教に浸ってんじゃねえ変態!」
一喝。ピンクのストールをよよよと顔のはたに持ってきたところへぴしゃりと怒声を投げつけられた。
はっとした時にはもう遅い。すっかり顔を上げたゴッドはぐっと顎を上げて斜めから見下ろすような姿勢。身長では負けているが座高では勝っているヒルダは、つい肩を縮こめて見下ろされる側に甘んじる。長い腕が伸びてきて、その前に広げた紙をこん、と厚みのある爪で威圧感たっぷりに叩いた。
「俺が気まぐれか何かで帰んないとでも?」
こん、と硬くもう一打。
「これを、確実に仕上げさせて持って帰るために居残ってんだよ! 俺がいなかったらお前、事務所の仕事も終わんない上にこっちの納期も遅らせてくるだろ!」
「そっ、そのくらい自分でできたわよ!」
「嘘つけ。飯の支度まで任せといてよく言うぜ。俺がいなきゃ一度居眠りしたが最後、朝まで寝てただろうが」
「うううっ」
返す言葉もなかった。子供のくせに生意気よ! くらい言ってやりたかったが、これではどちらが真っ当に社会人しているのか分からない。そもそも、考えてみればゴッドは精霊を継いだ時点で書類上は成人なのだった。出会った時からとっくにこの子は大人だったのである。
「はあ……仕方ないわ。あたしの負けね」
「分かったら書けよ。俺、今日は学校あんだよ。待って七時までだかんな」
「はいはい」
ヒルダが肩をすくめて鉛筆を握り直すと、ゴッドは再び気だるげな頬杖に戻って時計を眺め始めた。やっと気づいたが、つまらなそうに目を伏せているのは眠いのをこらえているせいらしい。反射的に口にしそうになった「眠いなら寝ればいいじゃない」は寸でのところでこらえた。ヒルダがさぼらないように起きているのだろう。そんなことを言ったら怒られるに違いない。それにヒルダに付き合って起きていてくれると考えれば、なんとも殊勝なことではないか。
自分で導き出した解釈に満足して、ヒルダは紙の上に鉛筆を下ろす。うきうきと作業に入るヒルダを面倒そうに見たゴッドが、そこから生まれた線を目にして少しだけ笑んだ、ような気がした。
おめでとうを言ってないと気づかないのがヒルダらしさ
やりたいこといっぱいあったけど、長くなるのと、引きこもりヒルダはそんなに鋭くない! というのとでたくさん諦めました
普段大人との絡みがないからとこの組み合わせにしたけど、まともな大人がいないから絡みがないんだなあということが分かった