嘘だけど

河定 マーレ編設定だけど本編ではできそうにない 河音視点一人称


 その時はっきりとおれは見た。交差点、ブロック塀の角に設置されたオレンジ色のフレームの中、真っ直ぐにこちらを見る男の姿。鏡越しに合った目は、薄暗くて底が知れない。
「……っ」
「早瀬? どした」
 青信号の前で立ち止まったのを不審に思ってか、定が顔の前で手を振る。おれはどう答えたものか迷った。
 いつも定と別れる横断歩道まで、まだ半分も来ていない。急いでもあと5分はかかるだろうし、定と一緒では意味もなく急ぐわけにもいかない。そこまで待ってくれることを期待できる相手ではなかった。
「おーい、早瀬。信号変わるぞ」
 点滅し始めた信号を渡ろうと、定がおれの手首をつかむ。おれは手を引かれる前に
「ごめん、おれ学校に忘れ物――」
 そう言って引き返そうとした一歩は、定の手で阻まれた。ぐっと手首を握る指に力がこもって、身を翻すこともできない。握力だけならおれのほうが強いけれど、こうやって足を踏ん張って引き止める力では確実に定が上だった。
「……定、おれ」
「忘れ物って?」
 遮るように問われる。なんにしよう。考えてなかった。つい目が泳ぐけど、なんとか「ノート。古文の」と答えた。定はそれ聞いて傷ついたみたいに眉を寄せて
「古文なら鞄に入ってるだろ……」
「あっ」
 しまった。定はおれが掃除の間にテスト予定表を見て鞄に返していた。嘘がばれた。どうしよう。
 焦るおれとは対照的に、定はゆったりと息をついて、おもむろに口を開く。そして、とんでもないことを言う。
「オレがいるのが都合悪いんなら、そう言えよ」
「…………」
 すぐに答えられないおれを待ちかねたように、定はもう一度溜め息を落とした。
「隠し事あるんだろ? 忘れ物だって嘘なんだろ? 早瀬、ごまかすのへったくそ。ずっと前から知ってんだよ。オレが全部見逃してやってたんだ。気付かれてないって、本気で思ってた?」
「そ、んな」
 本気で絶対にばれてないと思っていたわけじゃない。気付かないでいてくれたらいいなあ、と、勝手に期待してただけだ。定ならそんな期待を許してくれるって、ああ、それも勝手な期待だ。
 定はもう一度つらそうに顔を歪めて言う。
「ほんとのこと言えよ。オレがいたら困るのか? 忘れ物はないけど、一人で学校に戻りたい用があるんだろ?」
 定がそんな顔するのは間違ってない。ひどいのはおれの方だ。だからおれが泣きそうなのは、間違ってる。間違ってるのに目の奥がきゅっと熱くなる。
 強く腕を引くと、定の手は思いの外簡単にほどけた。反動で一歩後ずさって、おれはほとんど泣き声で言った。
「古文のノート、忘れたから取ってくる。定は先帰ってて……っ!」
「おい! 早瀬!」
 襟元へ伸ばされた手を避けて踵を返す。走り出したらすぐに涙がこぼれた。定はおれがすぐに泣くやつだってことを知ってるから、泣いてるとばれても怒らないだろうけど、それでも定に知られるわけにはいかないと思った。
 走って走って、逃げるように、元来た道を途中で折れる。普段は通ることのないそこに、ミラーに映っていたあの人が立っていた。


2014/2/8

二次創作BL小説の、友達との帰り道、忘れ物を思い出して一人学校へ戻り、教室やら部室やらに入るとそこに人がいて襲われるという定番話を立て続けに読んで、下校からの忘れ物話を書きたくなりました