ユール誕生日2013 ちょうど2013年の話 ユルシラ 椎羅一人称
ユール誕生日2013 ちょうど2013年の話 ユルシラ 椎羅一人称
柊さんのご実家周辺は、一年のほとんどが冬だ。一人ではここを離れられないわたしは、外の季節を知るのが遅い。だから、本当の冬が来ていることに気付いたのは、もう年の瀬も迫る頃のことだった。
「ただいま」
ほっそりとした気配が左に立って言う。少し高い、ハサミで断ち切ったような声で、わたしは夢中になっていた本の世界から引き戻された。
「おかえりなさい、柊さん! あれ、雪ついてますよ。珍しいですね」
月の頭から着るようになったコートの、肩のところに白いものがちらちらとついている。雪自体は、移動陣と玄関の間をしこたま吹き荒れているものだから、ついていてもおかしくはない。だけど移動陣を長年利用している柊さんは、その防雪効果を使うのもお手の物で、髪や服に雪をつけてくることはほぼ皆無と言ってよかった。
「ここの雪ではない。城下で降っていた」
そう説明しながら、柊さんはコートを脱いだ。すかさず受け取る。自己満足なのは分かっているけど、こういう良妻っぽいことをやる自分は結構好きだ。
「座っててください。あったかいお茶入れてきます」
「ありがとう。コートも」
「どういたしまして!」
丁寧なお礼に、わたしも丁寧に返して、まずはコートを柊さんの部屋へ持って行く。手前にあるヒュナさんの部屋をノックして
「ヒュナさん、お茶入れますけどいかがですか?」
「んー、いいわ。それよりユール帰ってきたのね? 晩御飯の準備始める前に呼んでちょうだい」
「はい、分かりました」
確認を取ったらキッチンへ取って返す。お湯を沸かし、お茶っ葉とお砂糖を用意する。柊さんを一人待たせていると思うと、お茶を蒸らす時間さえ、家で暇をしていた午前中くらい長く感じた。
二人分のお茶を持ってリビングへ戻る。柊さんは古いカーペットに直接座って、左肩のガーゼを剥いでいた。上半身は裸で、右の脇腹に、一昨日作ってきた痣が治っていないのが見えた。
「またですか?」
「ごめんなさい」
「あ、そういうことじゃないです。謝らないでください」
魔界へ戻ってから、柊さんはお城の騎士団へ通っている。お城の、と言ってもそれはほとんど過去の話で、今は楓生曰く『女王もよう手を付けんどうしょうもない組織』になっているらしい。だけどそこは、柊さんやヒュナさんや、そのご両親にとっては特別な場所なのだという。柊さんはどうしようもないものをどうにかするために、毎日そこで、いろんな人と話をし、訓練に参加し、たくさん嫌われて、少しだけ認められ、今のところは、いじめられっ子をしているのだった。
怪我は絶えない。言葉の代わりに投げつけられる暴力を、柊さんは避けようとしない、のだろう。それを見ているのは苦しいけれど、そこまでする理由を、部外者の私にもきちんと話してくれたから、わたしは静かに見守ることにしている。
「寒いでしょう、この部屋じゃ」
「少し。でも、もう済む」
さすがに柊さんは手慣れている。消毒、傷薬、ガーゼ、テープと鮮やかな手際で傷を隠し、膝の隣に脱いで畳んであった服を被る。わたしがテーブルの隅っこにお盆を置いて、柊さんのカップにお砂糖を溶かす間に終わってしまった。
「お茶入りましたよ。どうぞ」
「ありがとう」
カップを持って、柊さんの真横にぴったり寄り添う。ほっとするほど温かくもなく、ひんやりというほど冷たくもない体だった。真っ直ぐ平坦な、彼の声に似ている。性格も穏やかだし、柊さんという人は全体的に低刺激だ。ただ、わたしには感じられない魔力だけは、少し違うらしいけれど。
薄い唇がカップの縁に触れる。わたしも真似をするように、熱いお茶を一口。香りは甘いけれど、味は少し大人な、ヒュナさんの好きなお茶だ。柊さんのはお砂糖を三杯入れているから、きっと味も甘い。
「おいしいですか?」
「ああ」
「……わたしが入れたのと、ヒュナさんが入れたの、どっちがおいしいですか?」
ちょっと調子に乗って、そう聞いてみる。柊さんはこっちをじっと見ながら、重そうな睫毛を一往復させて、
「どちらがおいしいか、おれにはよく分からない。だが、椎羅の入れ方の方が、丁寧で正しいのだと思う」
と、なんとも一生懸命な答えをくれた。いろんな意味でほっぺたが緩む。
「わたしはヒュナさんのお茶も好きですけどね。飲みやすくって。私が入れると、たまに濃くなりすぎちゃうんです」
「姉上は、お湯を注いでからあまり待たない。クルスさんにも薄いと言われていた」
「そういえば、今日の晩御飯はヒュナさんが作るんですよ。わたしも手伝いますけど」
「そうか」
「今日は、柊さんの誕生日ですからね!」
声と肩が、つい弾んだ。柊さんはいつもの無表情で、ただわたしの声を聞いている。今日から22歳とは思えないほど、少し傾けたその顔はあどけない。わたし以外で彼のことをそんな風に言う人はいないけれど、あどけないとか無邪気とか、そういう真っ新な言葉は、邪なものを一切持たない柊さんを的確に表していると思う。そこには空っぽとか欠けてるとかの悲しい意味合いも伴ってしまうけれど、それでもなお、わたしには柊さんのそんな綺麗さが尊かった。
普通は近くで見れば見るほど嫌なところに目がついてしまうものだ。だけど柊さんの側で過ごせば過ごすほど、彼の綺麗なところにばかり気付いてしまう。離れがたく感じてしまう。わたしはいつか、ここからいなくならなきゃいけないのに。
「今日は、特別なんですよ」
柊さんが、そうっとカップをカーペットに置く。わたしは少し腕を伸ばして、テーブルに置いた。自由で空っぽになった彼の左腕を、体の前に連れてきて抱きしめる。細くて骨っぽい腕だ。そして傷がある。鼻を寄せると薬がにおった。
「特別に、わたしが柊さんの家族として過ごせる日なんです」
わたしと柊さんは、これまで家族じゃなかった。この先、家族になることもない。でも、今だけ、この子が生まれて一歳になるまでは、わたしは柊さんの家族だ。
本当は、柊さんのお嫁さんになって、この子のお母さんを名乗って、ずっとずっと、一緒に生きていけたらいいと思う。だけどそんなのは夢に過ぎない。それも、わたしだけの夢。柊さんの夢じゃあない。彼にとって、わたしを彼の事情に巻き込んで、一生を共にすることは、罪の道にあたるのだから。
そのことが、悲しくないと言えば嘘になる。だけど、わたしが好きになったのは、そういうことを罪だと考えてしまう柊さんだ。わたしのことで、そんな優しい柊さんが責任を感じるのは嫌。だから途中で悲しくなることがあっても、わたしたちはこのやり方にしようって決めたんだ。
「柊さん、こっち向いてください」
そう呼ぶと、柊さんは無抵抗に正面からわたしを見た。わたしは、首と背中を伸ばしてその唇にキスをした。
本当なら、この世界の本当なら、彼の内側に触れられる行為のはずなのだ。だけどわたしにはできない。わたしの仕組みじゃ、彼の本当の中心には、彼のほとんどを支えている力には、触れることができない。
少し離れて、柊さんの目を見る。墨のような真っ黒い瞳。その上に白く光が散って、素直に綺麗だと思う。でも、それは本当の色じゃない。柊さんの瞳は本当は青い。それは彼の力の色で、冴え冴えとした力強い色なのだという。
いろんな人にその色のことを聞いた。言葉はたくさん集まった。絵の具を溶いて色を作ってもらいもした。それでも、見えないことに変わりはなくて、とても悔しい。
「椎羅」
「っはい」
突然名前を呼ばれて、伏せていた顔が勝手に上がった。
「椎羅がおれの家族として過ごすのが特別なら、特別なのは今日だけではない」
「え? ……あ」
そういえばわたし、家族として過ごせる誕生日、とは言ってなかった。真面目くさった指摘に思わず笑いそうになる。しかし、わたしの「え?」を「どういうことですか?」と取ったらしい柊さんは
「明日以降も、椎羅が人間界に戻るまでは、毎日特別だ。椎羅が来てから今日までも特別だ」
……驚いた。びっくりして、照れて、笑えて、嬉しくって、そんな感情が一気に押し寄せる。わたしは目を見開いて、真っ赤になった頬をゆるゆるにして、思いっきり笑った。
「あはっ、柊さん、なんですかそれっ!」
的を射ない疑問形に、柊さんはすぐには答えられない。わたしが先に答えを言ってしまう。
「そんなの、そんなの幸せすぎます!」
毎日特別、だなんて。
当たり前みたいに淡々と、柊さんは言い切った。わたしの悩みなんてどうでもよくなってしまう。こんなに嬉しいことをこんな風に言ってくれる、こんな素敵な人、どの世界を探したって、柊さん以外にいる訳ない!
「大事にしますね。今日も、明日も、明後日も! だって特別なんですから!」
「そうだな」
簡単にそう答える柊さんは、わたしが喜んでいる意味を絶対に分かっていないけど。そんなことはいいの。いつかわたしが分からせてあげるから!
「わたし、ヒュナさん呼んできます。今日は特別ですから、二人で精出してご飯作りますね!」
おそらく今年最後の落書き短編でした
2013年、12月28日、今日この日、ユルシラはこうやって過ごしてます
生まれる時期が決まってないためはっきりは書きませんでしたが、椎羅のお腹にはユリシアがいます
ちょっと椎羅を甘やかしすぎたなあ、と思いますが、まあ本編後だし、妊娠中だし、ユールもこれぐらい気を利かせて(当社比)ていいでしょう