美術室

河定 美術の先生視点


 高2の課題提出期限まで、あと一日となった。このところ、昼休みと放課後の美術室には毎日のように進捗の遅い生徒がやってくる。これがやかましいことこの上ない。友人のスケッチなんて課題にするんじゃなかった。
 特に女子はたった二人でもかしましく、昨日一番遅かった女子のペアが作品を提出していった時は、内心ほっとしたものだ。
 残るは男子が一組。早瀬と依川、だったっけか。もう何日も美術室に通っているのになかなか仕上がらない。『出来上がらない』じゃなく『納得いかない』というパターンなのだろう。
 次の授業で中1が使う画材の準備をしていると、紛れる音がほとんどないせいで、二人の会話がはっきり聞こえてくる。
「分かんねえ。何がダメなんだ。なあ、お前昨日と顔変わった?」
「なわけないだろー」
「じゃあ寝癖」
「ついてる?」
「あ、こら後ろ向くなって」
 依川が首を傾げながら消しゴムを取り出す。そうやってすぐ消すから完成しないんだ。ああほら、顔の中全部消しちゃって。これまでで二番の出来だったのに。
 早瀬は早瀬で、マイペースに膝の上にスケッチブックを持ってきて、モデルついでに自分の作品を調整し始める。
「早瀬、まだ描いてんのかよ」
「えっ。それ定が言う?」
「うるせー! もう仕上がってるだろ。なんで提出しねーのってこと」
「期限まだだし、定に付き合っててもすることないし」
「お前それ以上丁寧にやるとオレとの差がつくから止めろ」
「ええ? おれもそんなうまくないし、変わんないって」
 美術教師の立場からすると、二人とも言ってることは見当違いだった。
 早瀬は依川よりは確実にうまい。絵が分かっている感じは一切ないのだが、ちゃんと見て描いているのが良く分かる。ものを線で捉えるのが上手いのだろう。しかし、線を増やせば増やすほど画面がぼんやりしてくる傾向がある。しつこくいじってないでさっさと提出するべきだ。
 依川は逆に、すぐ消すのが良くない。スケッチはしっかりと線を増やさないと様にならない。あと消しゴムの跡がいっぱいつくと、単純に汚い。
 そこは自覚しているのか、依川は白紙のページに消しゴムをこすりつけて表面の汚れを落としていた。
「やばい、これ終わんねえよ。早瀬手伝って」
「無茶苦茶言うなよ。自分の顔なんて見えないだろ」
「自分の顔ならよく知ってんだろ。ほらー、眉の位置どこすればいい?」
「前髪で見えないから描かなくていい」
「りょーかーい」
 鉛筆を寝かせて、ザ・学生の描き方。線じゃなく面で塗っている。しばらくそうやって、依川はイーゼルからスケッチブックを外して、その出来を早瀬に見せる。
「どう? 似てるか?」
「さあ……言われたら分かるかなあ。おれの定は? 似てる?」
 早瀬も膝からスケッチブックを持ち上げ、顔の横へ。依川がその動作に
「おま、自分の顔とオレの顔並べてどーすんだよ」
 とつっこんだ。その通りだと思うが、おかげでここからも見えるようになった。なかなか似ている。本当に、これ以上手を加えず提出してほしい。
「どうって、まあ参考に?」
「顔違うだろ。でも、あー似てるわ。なんかはずいな。めっちゃ見て描いてんじゃん」
「それ言ったらおれのほうが恥ずかしいよ。おれのは影とかちょっと入れてるだけだけど、定すごい見てくるじゃん」
「見なきゃ描けないだろー。ていうかなんで友達の顔なんだよ。先生意味分かんねー」
「しーっ!」
 スケッチブックをばたばたと動かす依川に、早瀬が身を乗り出して目配せする。二人からの窺うような視線からは、手元に集中しているフリで逃げた。
「聞こえた?」
「もう定、黙って描こう」
「そだな。なあ、この首んとこのボタンって糸どっち? 縦?」
「横じゃない? 見て見て」
「横だわ。でもオレの縦だ! 母さんテキトーに付けたな……」
 黙ろうなんて言っておいて、一向静かになる気配がない。学生なんてみんなそうだ。
 筆に絵具にパレットに、一通り用意は済んだ。生徒二人はまだくちゃべりながら手を動かしているが、こちらは教員室へ引っ込むことにする。
 はてさて、彼らはどんな作品を提出してくるのだろう。楽しみというほどではないが、期日だけは守ってほしいと思った。


2013/12/5

書いてって言われてサッと書けた時の気持ち良さったらない
物理距離は普通だけど会話聞くとなんとなく近いなーっていうのが河音と定くん