高1古文

高1くらいの話 椎矢一人称


 解き終わった小テストを裏返して隣を窺う。早瀬くんは机の上に指を滑らせながら、時計を見上げて終了の合図を待っていた。授業には関係のないことを考えている冷めた空気とか、かき上げた髪から覗く耳とか、この位置にいないと見えない部分に、知らず視線が吸い寄せられる。
「はーい、隣と交換して採点してくださーい」
 先生の声ではっとする。B6サイズの小テストが机に置かれていた。慌ててわたしのも早瀬くんに渡す。
 オレンジのペンで、先生の答えを聞きながら丸付けをする。男子にしてはきれいな柔らかみのある字で書かれているのは、どれも正解ばかりだ。そんなに勉強している様子はないのに、古典がこんなにできるなんてずるい。
 名前の下の点数欄に『ひゃくてん』とひらがなで書いてやった。
「椎矢、はい」
「ん」
 自分のテストを受け取ると、60点だった。
「……」
「そんな顔しなくても。理数があれだけできるんだから、気にするほどの点じゃないだろ?」
「良くできる人に言われても嬉しくないわよ」
 なんて、反射みたいに口が言う。思い切り顔までそらして、わたしってなんて可愛くないんだろう。
 早瀬くんはシャーペンのキャップを唇に当てて、困ったように笑っていた。シャーペンを置いて、ノートと教科書を広げる。無造作に持ち上げた下敷きとぶつかって、シャーペンがころんと転がる。
 落ちそう。落ちるかな。落ちたら、拾いたいな。
「っ」
 気付けば右手が机の下に伸びていた。さっと引っ込めて、正面を向く。
 ……何してたの、自分。そう言うのが一番キライなのはわたしなのに。好きな人の持ってるものとか、気に入ってるものとか、そんなのに触れたがって、あわよくば接点を手に入れようとがっついて。そんなの『好き』じゃない。それはただの欲しがりで、どうしようもなく醜く汚く見えるっていうのに。
 ぐるぐる、わたしの中にイヤなものばかりが渦を巻く。早く、このきれいな人のそばから離れたい。
「椎矢」
 肩に手。
 とっさに払うと、早瀬くんは驚いたみたいに身を引いた。
「は、早瀬くん……」
「椎矢、どうかした? 気分でも悪いの?」
「そうじゃないけど……」
 語尾を濁して胸に手を当てる。うるさい。どくどくと、血流が呼吸のじゃまをする。
 早瀬くんは心配そうにわたしの目を覗き込む。もう、わたしこれ以上好きになりたくないのに。
「それより、なんか用?」
 舌がもつれないよう意識しながら聞く。そうだった、と早瀬くんが机の上の紙切れを取った。
「はいこれ」
「何?」
 きゅ、と右手にそれを握らされて、眉根が寄る。ほんと、素直じゃない。
 開いてみると、再テストの日時が書かれていた。
「70点未満の人は集合……」
「椎矢、聞いてないみたいだったから」
 裏面は、早瀬くんの『ひゃくてん』のテスト。答案の字とメモの字は、何をやって遊んでるんだか、筆跡がまったく違う。
「……イヤミ」
「なっ、親切で書いたのに!」
 冷たく言うと、早瀬くんはショックを受けた顔になる。そういうとこ、大好き。
「再テスト受かれば減点しないんだって。頑張れ」
「そうだけど、わたし古典苦手だもの」
「教えよっか?」
「いいの?」
 飛びついてから恥ずかしくなって、下を向く。
「えっと、早瀬くんがいいなら、おねがい」
「うん。じゃあ今日うち来る?」
「……行く」
 一片の他意もない声に、思わずそんな返事。早瀬くんはにっこり笑って前を向く。黒板では少し授業が進んでいたけど、わたしはノートを取らずに隣の席を観察する。どうせ、あとで配るプリントにも同じことが書いてあるのだ。
 黒板をノートに写す、素早いシャーペンの先。ノートの隅には植物の模様みたいな落書き。教科書の下からわずかにはみ出た紙は、たぶんお仕事関係の物。先生のスキを窺いつつ、早瀬くんは真剣な顔で線と向き合っている。
 この位置で見ていられるだけで幸せと言えるほど、わたしは大人じゃないけれど。
「早瀬くん」
「ん?」
「ありがと」
「どういたしまして」
 欲しいとは思わない。その笑顔が誰のものでも、かまわないわたしでいたいから。


2013/9/17

リメイク
人の欲にものすごく嫌悪感のあるお年頃
皆が一緒の時と少し違う椎矢