空也編 椎羅視点3人称 ユルシラ?
空也編 椎羅視点3人称 ユルシラ?
バチッ、と蛍光灯が音を立てて切れる。一気に夕暮れの薄闇となった廊下で、椎羅はそっと目を開けた。
「へえ……頑張るねえ」
右手に鎖をぶら下げた空也が、嫌味っぽい感心の表情で笑っていた。その視線に震えながらも、椎羅は足をしっかり張って、両腕を広げて、空也の前に立ちはだかる。床に落ちてきた天井のタイルは出来るだけ見ないよう、精一杯顔を上げて、大切な人を背に隠して。
本当はもう、こんなこと限界だった。ただの女子高生でしかない椎羅には、迫る夜も、廃墟のにおいも、敵の存在も、些細な怪我も、戦いの何もかもが恐ろしい。今すぐ逃げ出したい、誰でもいいから助けてほしい、目の前の悪夢をなかったことにしてほしい。けれど、そんな恐怖に苛まれながらも、椎羅は真っ向、空也と相対している。
それはひとえに、椎羅の後ろで倒れて動かない彼のため、彼のせい、彼のおかげだった。
多分、椎羅のやり方は間違っている。ユールが空也の束縛術に捕まったのは、椎羅を逃がそうとしてのことだった。だから椎羅はユールを置いて立ち去るべきなのだ。ユールの思考回路からすれば。
しかし、己の無力を知っても、止めどない恐怖に呑まれても、彼の望みに背いても、椎羅はユールを見捨てられない。そして椎羅には、ユールなら共感も同意もせず、彼女の意図を理解してくれるという確信があった。
そんなふうに、ユールに頼ってユールを庇って、椎羅は単身空也に挑む。目的はユールが動けるようになるまでの時間稼ぎ、武器は言葉と、感情だ。
彼女の内心を知ってか知らずか、空也は自ら対話の口火を切る。
「そこ、退いてくれないかな」
「嫌よ」
「どうして?」
好きだから、とはさすがに言えなかった。感付かれてはいるのだろうと思いつつ、せいぜい尊大に糾弾する。
「だってあなた、柊さんになにか、変な魔法使うつもりでしょう」
「変って……傷つくなあ。とっておきの魔法なのに」
くるくると、空也が右手で小さなカードをもてあそぶ。ルビィたちはあれを『精霊を奪う魔法』と呼んでいた。椎羅には世界にとっての精霊の意義までは感じ得ないが、ユールにとって精霊がいかに大切かは分かる。あれは絶対に、使わせてはいけない。
「何がとっておきよ。誰もそんなもの望んでないわ」
「僕にとっては夢みたいな魔法なんだけどなあ。君だって、そうだなあ……」
空也がわざとっぽく視線を上げて、考え込む仕草を取る。そして一言、椎羅の胸を刺した。
「ユールに感情が戻る魔法なら、欲しくないかい?」
「っ、そんなの」
「辛いよね、いつ終わるとも知れない片思いって。どんなに優しくされたって気持ちがこもってないって悲しくない? それならハッキリ振られた方がよっぽどマシだよ。いつまでも同情で優しくされるなんてごめんだよね。おかげで踏ん切り付けられなくって次の恋も始められない。諦めずに頑張ったところで、君の想いは不毛だ」
「やめて」
「こういうこと、一度くらいは考えたんじゃないかな」
椎羅の震える声を無視して、空也は畳みかけるように問う。
一つずつ言われたのなら、椎羅にも反論のしようがあった。しかし、積み重ねられた言葉は払いのけるには重すぎた。結果、空也が目論んだ方向へ誘導されてしまう。
「どうして、そんな酷いこと言うの!?」
「敵だから、って言ってほしい?」
空也は笑っていた。
「敵だから、君が取り乱してくれるように頭をひねって喋ってたって言ってほしいよね。だけど残念、これは僕の本音なんだ。ユールを好きでいる君のこと、僕は本気で憐れんでいるんだよ。こんなに――」
ばちん、と不穏な音を引いて、椎羅の後ろからユールが飛び出していた。空也が迫りくる剣に鎖を巻きつけて押し留める。
「っ、君、最悪のタイミングで復活したね。ここから彼女のフォローするの大変だよ?」
ユールは、未だそんな軽口を叩く空也から一歩離れ、息をのむ椎羅を振り返ると、目を見て言った。
「シーラ、助かった。ありがとう」
「柊さん!」
空也に植えつけられた不安は一瞬で氷解した。様々な重圧から解放されてくずおれる椎羅を、ユールが抱き上げて駆け出す。
「離すな。逃げる」
「はいっ!」
「させないよ」
空也の鎖が束になって追ってくるのを、氷の壁が阻む。鎖はそれを打ち砕いて追いすがる。そして、二人の行く手には巨大な窓ガラス。
「目をつぶれ。怪我はさせない」
はいと答える余裕もなく、椎羅は指示に従ってユールにしがみつく。ユールが足音も軽く床を蹴る。空也の鎖がその足元まで迫り――前後から猛烈な破砕音が響いた。次の瞬間、全身が強いGに晒される。悲鳴を上げているかどうかさえ、自分ではもう分からなかった。
「どうしてそんなひどいこというの」がお題でした