魔法行動禁止陣

マリン編 アクア視点3人称


 老若男女の合成のような不自然な声、勝手に回るハンドルだけの運転席、どちらも魔法によるものとしか考えられない。となると、アクアの懸念するべきは一つ。
(――手)
 陣書きの手、これだけが今のアクアが頼りにできる唯一であり、相手が標的としている可能性の最も高いものだった。
 アクアは床についたその手を、できるだけ意図を探られないよう、ゆっくりと体の後ろへ滑らせていく。相手の目はフードに覆われているため、視線の動きは読めない。ばれていないという確信は持てぬまま、向こうからは完全に見えなくなったと思われる位置で魔法陣を描こうとした、瞬間。
 黒い袖をなびかせ、骨ばった硬い手がアクアの顔面を掴んだ。何事かと思う間に押し倒され、強かに後頭部を打つ。
「っ、た……!」
 目元を掴まれて真っ暗な世界の中、首筋に手が触れた。
 殺される。
 そんな予感がよぎって思わずひっと息をのむ。上がりそうになった悲鳴は、寸でのところで堪えた。
(大丈夫、まだ間に合う、今からでも魔法陣を書けば――)
 しかし、弱音を押し込めようとしたアクアに相手は容赦なかった。
 指先が首をなぞる。その軌跡に強烈な痛みが走った。
「い、っつ! 痛っ、や、! はなせっ、たい痛い痛い痛い――!」
 切られたかと思った。その恐怖と、それを上回るほどの痛みの連続。切り傷のような、熱から始まる痛みではない。最初から真っ直ぐ、逃れようもなく痛みとして刻まれる苦痛。現状の何よりのヒントとなるべきその感覚が、逆にアクアから自分のされていることを判断する力を奪っていく。
 解放は始まりと同じで唐突だった。
 まったく突然に、あれほど激しかった痛みが嘘のようにかき消える。通常の怪我なら残るはずの、うずくような余韻はどこにもない。
 視界を塞いでいた手が離れて、白い光が眼を射る。アクアは喘ぎ喘ぎ起き上がって、顔中涙でぬれていることに気付いた。見下ろしてくる敵の目はやはり見えず、口元は貼りつけたような薄い笑みのままだ。
 苦しかった息を落ち着けて首筋に手をやる。そこでやっと、アクアは悟った。これは、魔力の痛みだと。かつて禁止陣下で魔法を使おうとした時にも経験した、純度の高すぎるただの痛み。そして、その結果に思考が行き当たり、
「っ――!」
 真っ青になって凍り付くアクアに、フードの下から不自然な声が囁く。
「魔法陣を入れたのだが、なんだか分かるかな」
 外れてほしかった予想は、無情にも的中した。
 体に魔法陣を入れられる、陣書きとして最低最悪の、苦痛、恥辱、汚名。それにはルサ・イルへの道も、仕事の評判も、全て崩れ落ちるほどの意味があった。
 そして、アクアにそんな行いを働いた人物は追い打ちをかけるように彼の耳元に唇を寄せ、一言、笑った。
「禁止陣だ」
 陣書きとしての自分も、精霊としての自分も折られたことを、その声は残酷に告げる。何も書けない。何もできない。今、アクアは完全に無力だった。
 未だ乾かぬ頬を、幾筋もの涙が再び濡らした。


20??/??/??

いじめたくて書いたのか、ずっとやるって決めてたシーンをとりあえず文字にしたかったのか
いつになったらここまでたどりつくんだろう……