椎羅と椎矢の誕生日は六月三日だ。そして今年はその日がちょうど日曜日だ。
ということで、あたしたちの家で誕生日会をすることになった。
リビングのテーブルをお兄ちゃんから取り寄せたの半分、グロウが用意したの半分のごちそうで埋めた豪勢な食卓に、カラフルな炭酸のジュースが並ぶ。ベランダの地味なカーテンを閉めて、昨晩五人で風船膨らませ大会をした大量の風船をカーテンにテープで貼り付けて、ハッピーバースデーの文字を作っている。椎羅が喜ぶからユールは出迎えのときから同席させた。完璧なセッティングだ。あたし的には、お菓子もご飯も入り乱れというのがなんとも楽しい。
特急に乗ってきた椎羅と椎矢はこのパーティをすごく喜んでくれた。ほぼいつもの昼休みの雰囲気だけど、いつまでも続けられそうなおしゃべりが盛り上がる。
アクアとゴッドは、今日のご飯の用意はこれだけだから、端っこで昼ご飯を済ませ、気づいたときには部屋に引き上げていた。いつの間にかユールもいない。
グロウを見ると、ばっちりと目が合った。ひとつ、頷いてくちを開く。
「椎羅、椎矢」
「どうしたの?」
「苑美?」
あたしの話を聞こうと顔を向ける二人の背景で、廊下へのドアが音もなく開き、隙間から出てきた手が壁のスイッチを押す。
ぱちん、と音がして部屋が薄暗くなった。
「きゃっ」
椎羅と椎矢が咄嗟に身を寄せ合う。さすがにまっくらとはいかないけど、ゆっくりと開ききったドアから柔らかい明かりが見えて、あたしは成功を確信した。
「……ハッピーバースデートゥーユー」
なんかちょっとためらうみたいな呼吸のあと、歌い出したのはアクアの声。甘ったるく、どこか冷たい緊張感のある、高い声。
それを聞いて、あたしやグロウが続きを歌う。椎羅と椎矢は誘われるように振り返って、
「わあ……!」
と吐息を漏らす。ロウソクに火を灯したケーキを、ユールが暗がりを物ともしない正確な足どりで運んでくる。ロウソクの炎の優しい色合いで、ギリギリなんとかお化けっぽくはない。
きっちりハッピーバースデーの歌が終わるタイミングでユールが双子の前にケーキを下ろした。
「ひ、柊さん……!」
「えっ、これ、楓生」
感激して言葉を詰まらせている二人に、企画者のグロウがほほえみかける。
「どうぞ。消して」
せーの、ときれいに声をそろえて、双子がロウソクの火を吹き消した。
同時に、戸口に控えていたゴッドが電気をつけた。あたしは拍手。ひたすら拍手だ。そんでもって、
「おめでとー!」
なるだけ盛大な感じでお祝いを言う。他に仕事の割り振りがなかった。
「えー! すごい、ありがとう! 嬉しい!」
「ほんとに! こんなの考えてくれてたのね! あっ、早瀬くん?」
歌い出し係だったアクアが、両手を背中に回したままテーブルのそばへやって来た。
あの歌い出しも、実は昨夜四人――暗闇ケーキ運びは最初からユールに決まりだった――でオーディションをした。音楽の授業でやった歌も、CMソングもドラマ主題歌も、アクアがいちばん上手かったのだ。
「あの、グロウ、いいの? おれが渡すの?」
「かまんかまん。連名やき。これ、うちらあから」
グロウに促されるまま、アクアが背に隠していた紙袋を差し出す。近い方にいた椎矢がおずおずと受け取って、
「ありがと。……中身、見ていい?」
「見て見て」
聞かれたアクアではなく、グロウが答える。椎矢は椎羅にも見えるように、二人の真ん中に紙袋を持ってきて中身を取り出した。透明なケースに入ったそれの、表に書かれた文字を二人の目が読んでいくのを、あたしもわくわくした気持ちで見守る。
たぶん、二人は一回読んだ。そのうえで、今度は双子で声をそろえて音読する。
「ASAMA、ライブツアー、フラッシュ、スペスタ限定、生中継、ノーカット……!?」
きゃーっ! と、ほとんど悲鳴みたいな歓声が上がった。
「えっ、えっ、なになにこれどういうこと!?」
「契約!? してたの!? えっあれでしょテレビでしょ有料のやつでしょ!?」
「見れるの!? この家DVDデッキあった!? えっていうか字めっちゃきれい」
「あ、それはおれが……」
白いDVDの本体には、アクアが気合いの入った飾り文字でタイトルを入れていた。
グロウが満足げに腕を組む。
「はー、やった。完璧。全部計画通りいった! もう最高やね、ものっそ気分えいね」
「待ってよ楓生、これどうやって手に入れたのか教えなさいよ」
企画の成功に満ち足りまくっているグロウに、椎矢がDVD片手に迫る。グロウはすっとアクアを手で示した。
「それはほぼ河音の仕事」
「あ、あの、ASAMAのライブ中継をやってるっていうテレビ? を定のお父さんが、なんか、海外のスポーツにはまってて、それ見るのに契約してて、それで録画してもらった」
「ほんと!? うわー早瀬くんありがとう!」
「そうなんだ、これ依川にもお礼言わなきゃね」
あたしもよくわかってないけど、どうやら、テレビにはお金払わなくても見れるやつとお金かかるやつがあって、椎羅と椎矢がキャンディを食べて抽選に応募していたライブはお金を払うとテレビで見られる日があった、らしい。これを全部ひとりで、調べて、把握して、計画して実行したグロウはたいしたものだ。
「えー、どうしよ、見る? 一緒に見よ」
「そうそうせっかくだし。えっと、ここの家って」
椎矢が覗き込むテレビ台の前に、裏方に徹していたゴッドがすでに待ち構えていてDVDを受け取る。普段は使ってないけど、人間界の家庭では普通な家電は一揃いあって、DVDを見る機械も置いてあるのだ。でも機械の使い方はいまいちわからないところも多く、適応力高めのゴッドだけが説明書を読んで操作できるようになっている。
椎羅と椎矢にやってもらったらすぐなんだろうけど、今日は主役でお客様だからソファに座ってもらって、操作は全部ゴッドが引き受けた。
ライブは天界のより数倍大きな会場の空撮から始まった。期待に満ちたお客さんの顔が次々に映り、音楽とともに巨大なスクリーンで映像が流れ始める。そのあとにスポットライトがステージ中央に集まって、左右にされた壁から花束みたいな衣装に身を包んだASAMAが現れた。
「わーっ、衣装可愛い!」
「あっ、最初に新曲やるのね!」
行けなかったライブの映像を、椎羅と椎矢は心底喜んでくれていた。よかったなあ。あたし何もしてないけど、主にグロウがいろいろしてくれて。
そのグロウはケーキの皿を持って台所へ引っ込み、しばらくして肩を叩かれたときにはダイニングテーブルに切り分けられたケーキが並んでいた。
「あんた運んで。ユールはティーカップ配ってくれん? どれが誰のとかないき」
声のかけ方が違いすぎる。けど、今日ほとんど働いてないあたしは素直にお手伝いするしかない。
「はいケーキ」
あたしたちがお皿を持っていくと、ゴッドがリモコンを手にたずねる。
「止める?」
「大丈夫です、流しっぱなしで。家でも見られるものね」
椎羅が答えて、椎矢が頷いて同意する。ASAMAのライブ音声を聞きながらデザートの時間になった。
ケーキはもちろんお兄ちゃん作だ。クリームがとにかくあっさりで、その代わり濃い味のジャムが効いている。あたしが注文したからあたし好みになってしまった。でも、椎矢が、
「これおいしい。何ケーキっていうの?」
とひとくちめから目を輝かせてくれた。
「名前はわかんないけど、お兄ちゃんが作るやつでいちばん好きなんだ。あたしのおすすめケーキ」
「苑美のお兄さんのオリジナル? すごい、レシピ教えてほしいわ」
「えへへ、クルス兄ちゃんに聞いとくね」
なんにもしてないのになんか嬉しい。ケーキのあいまに、テーブルにまだ残っていた肉巻きポテトをつまむ。こんな変なことしても怒られないのもなんか楽しい。やっぱあたし、人間界に来てよかったなー、とポテトを噛みしめていると、
「カナリャーナーミ!」
テレビからそんな声がした。ASAMAの声だ。明るく、みんなを盛り上げるような溌剌とした声。で、いまなんて?
一気に注目が高まった画面は照明が落ちて暗いステージ。人影が地面から生えてくるように現れ、華奢なブーツの足がかつかつと二歩歩き、ぱっ、とステージ全部に水色とピンクの光が溢れる。
波打つ金髪、スミレ色の大きな瞳、愛らしい美貌、笑みに浮かんだちいさなえくぼ、レースの手袋、シルエットを美しく見せるノースリーブのミニドレスは裾を大量のサテンリボンが彩って、そして、
「――ねえ、」
歌い出しの瞬間、その背中に真っ白な翼が開いた。
「えーっ!?」
気づいたときには叫んでいて、そこからはもう、大騒ぎだ。
「えっ、これって歌姫……?」
「なにやってんの!? ライブ!?」
「そら人間界でやっていくあてはあるがやろうとは思うたけど、まっこと大胆な……」
「このライブっていつやってたやつ? 先週? ほとぼり冷めたころにしても早いな」
「ねえねえねえASAMAがカナリャーナーミって言ったよね? ASAMAと知り合いなの? ねえ?」
「これ会場どこやったが? 国内?」
「マジでこっちにいるのかよ」
「あの、ねえ、これ魔法だよな?」
アクアが画面の前に膝で寄っていく。最初よりすこし暗くなったステージで、カナリャは白い翼を羽ばたかせて宙を揺蕩っていた。椎羅が首を傾げる。
「苑美、どういうこと? これフライングじゃないの?」
「フライングって?」
「ワイヤーで身体を吊り上げて、飛んでるみたいに見せるの。ライブの演出でたまにあるわよ」
椎羅は、そんなに驚くことじゃない、みたいなくちぶりだった。でもこれカナリャだよ? 歌姫だよ? そんな人間界で普通なことする?
振り返ったらユールが目に付いた。
「ユール、これ魔法だと思う?」
「魔法だ」
即答だった。グロウが大きなため息をつく。
「まあうちらあがこういう立場の人と関わり合いになることはないろうけんど……ほどほどにしてほしいわ、さすがに」
「しかし堂々としてればこんな公衆の面前で魔法使ってもばれねーんだな」
ゴッドは謎に感心している。歌姫は穏やかにステージへ着地して、丁寧に羽を畳んで消した。あたしたちからすれば魔法で跡形もなく消しているとしか思えないけど、魔法なんてあると思ってなければなにか手品で隠したように見えるのかもしれない。
曲が終わって、どこかへ行っていたASAMAがカナリャのそばへ戻ってくる。
「それじゃあ改めて紹介します! カナリャーナーミ!」
会場がイエー! と盛り上がって、カナリャは超満足そうだった。
「ん、ASAMAさん、紹介ありがとうございます。カナリャーナーミです! 生まれ変わって、世界の歌姫を目指してます! カナとかカナリャとか、好きな呼び方で呼んでください!」
「ど、堂々としすぎでしょ」
あっけにとられているうちに次の曲が始まる。今度はASAMAと一緒に歌うみたいだ。グロウが椎羅と椎矢にカナリャのことを説明する声が遠く聞こえる。ASAMAにも羽が生えたのを見て、ゴッドが「隠す気ねえのかこいつ」と引いている。
「ルビィ、このこと管理人さんに話しに行く?」
アクアがささやき声で聞いてくる。ユールが正座で見つめている画面のなかでは、歌姫カナリャとアイドルASAMAが手を取り合って空中をくるくると踊っていた。
あたしは遠く魔界のお城、封印の間に住み着いた元死神の憂い顔を思い出す。
エメリア、このひと全然、なんにも心配いらないよ。たぶんエメリアの思ってる百倍はたくましいよ。