=風の精霊ウィンディ=

エピローグ

 椎羅と椎矢の家の最寄り駅、香島駅の前にはファーストフードのお店がある。間口が狭く、奥に長く広がった店の、いちばん手前のテーブル席にあたしたちは集まっていた。
 きつい冷房を、ときおり開く自動ドアからの外気がうまい具合に中和する。同じようにあたしたちの話し声も、レジのやり取りや厨房の音、出入りするお客さんのざわめきに紛れている。
 グロウの選んだ席だけど、最初にそんな説明を聞いたときはよくわからなかった。こういうことか、と、椎羅と椎矢の話を流し聞きながら納得する。
「ちょっと! 聞いてる!? こっちはほんとにたいへんだったんだから!」
 ばれた。
「あっ、いまばれたって思ったでしょ!」
「なんでわかるの!?」
 椎矢は鋭い。カフェオレをストローで吸い上げながら恨みがましい目線を寄越す椎羅にも、ぼーっとしてたのは気づかれていたみたいだ。
「まあまあ、そう怒らんとってや。うまいこと言うてくれちゅうがやろ?」
 グロウが生クリームと練乳の山をスプーンで崩しながらふたりを宥める。椎矢はまだ不満顔だったけど、いくらか落ち着いた声で、
「それがたいへんだったのよ。なんとか言いくるめられたみたいだけど」
「わたしたち、親にこんな嘘ついたの初めてよ。なんかすっごく疲れちゃった」
 そう言う椎羅は、両手でほっぺたを包んでため息をついている。その様子がなんだか、このふたりに素性を隠していたころの、グロウのでまかせに戸惑っていたアクアみたいで笑ってしまう。
 それも椎矢は見逃してくれなかった。
「苑美、なに笑ってるのよ。もしかしてこういうの慣れっこ?」
「え? あたしは全然だよー。グロウ……いたっ、楓生が言ってることに適当に乗っかってるだけだもん」
 危ない、いまテーブルの下で足蹴られた。椎羅たちに隠さなくてよくなったせいか、それともここが学校じゃないからか、グロウって呼びそうになるのは今日二度目だ。
 椎羅がまたカフェオレの向こうでむくれる。
「えー、ずるい。楓生の言ってた関係者ってこういうことかと思ったのに」
「ごめんよ、迷惑かけて。でもありがとう、ほんまに助かった」
 楓生がすかさず機嫌を取ると、椎羅と椎矢はどちらからともなく目を合わせ、まんざらでもなさそうな顔をした。
 いままでどおりの友達ではいられない、とグロウは言った。これからは、椎羅と椎矢はあたしたちの関係者だと。それがどういう意味かなんてさっぱりわからず、怯える椎羅と椎矢とぽかんとするあたしに、グロウが説明したことはこんな内容だった。
 クイードとピュッセが暴れたせいで、江藤家の別荘はめちゃくちゃだ。あたしたちでは直すこともできないし、借りたものをあんな状態にして黙っているわけにもいかない。でもほんとうのことなんてとても言えない。
 都合の良いことに、あたしたちがグロウの家に泊まった夜、人間界では台風が足を速めていた。翌日は朝からかなり強めの雨が降っていて、風もどんどん激しくなり、昼には大荒れの天気になった。魔界ではあそこまでの暴風雨は見たことがない。
 グロウはクイードとピュッセの代わりに、その台風に罪を被せることにした。
 要するに、椎羅と椎矢に嘘をつくよう頼んだのだった。
 ふたりの努力の甲斐あって、別荘は台風で飛んできたもののせいで窓が割れて、雨風が吹き込み放題になったせいで中まで荒れてしまったことになっている。
 修理費のことが気がかりというグロウは、数日前に母親に持たされたという設定の菓子折を持って江藤家に行っていたけど、そこで聞いた話によると、別荘周辺はほんとうに流木や倒木があって、クイードたちに関係なくそこそこ被害は出ていたらしい。
 ならいいか、ということで、でもちょっと申し訳ないから、今日のおやつ、椎羅と椎矢の分はあたしたちのおごりだ。
「別にね、怒ってるわけじゃないのよ。それより、ほっとしてる」
 椎矢がふいに神妙な声を出した。視線はバニラシェイクをかきまぜるストローに向かっていて、こちらを見てはいない。
「不安だったの。こんなおっきな隠し事がバレたら、みんな……自分の、元の世界っていうの? そこに帰っちゃって、ほんとうのことを知っちゃったわたしたちとはもう会ってくれないんじゃないかって」
 椎羅は対称的にはっきりとあたしたちを見て、大きく頷く。
「そうそう。でもこうやって、前みたいに普通に遊んでくれて嬉しいのよ。別荘のことで苦労したのも、二人がこの世界からいなくなっちゃってたら、聞いてもらうこともなかったんだし」
 そうだね、とあたしも頷き返した。グロウはああいう言い方をしたけど、これからだって変わらず椎羅と椎矢は友達なんだ。友達ってどういうものか全然知らなかったけど、なんとなくわかってきた気がする。
「ま、そんなのは過ぎたことよ。せっかくだし、今日これだけじゃ帰らないわよね? 遊びに行くわよね?」
 明るい声で椎羅が言う。いつの間にかカフェオレは空になっていたらしい。コップとおしぼりと、最初に食べていたアップルパイの包みが次々とトレイに戻されていく。
 椎矢もその間にシェイクを飲み干してしまって、トレイの空いた半分にカップを置いた。
「お泊まり、親にデジカメ借りて行こうって計画してたんだけど、忘れてっちゃったのよ。記念写真撮りたくない? わたしと椎羅と、昨日ずっとその話してたの」
「ほんとは柊さんもいたら最高なんだけど、まだまだ時間はあるみたいだし。今日は女子だけでプリクラ撮ろ! ふたりとも、プリクラ初めてでしょ? 絶対楽しいから!」
「ぷりくら……?」
 隣のグロウをうかがうと、首を左右に振られた。グロウにもよくわからないみたいだ。
「それよりあんた、早う飲み切らんと置いて行かれるで」
「あっ!」
 静かだなと思ったら、グロウも自分のコーヒーをほとんど飲み終えていた。あの甘そうなのいっぱいかかってたやつ、よくこんな短時間に飲めるなあ。なんて感心してる場合じゃなくて。
 あたしは甘くもすっぱくもないウーロン茶を、ストローなんて使ってたら間に合わないから蓋を外して一気にあおった。
「……っ、ぷは! ごちそうさま! で、どこ行くの?」
「ゲーセン! だけど、どうする? 商店街でいい?」
「ショッピングモールのほうにしない? バスの時間そろそろでしょ」
 椎羅と椎矢はバッグを肩に掛けて席を立つ。グロウがあたしの手からコップをさらって、トレイのすみっこに乗っけてくれた。共用財布もグロウに任せてるから、あたしはなんの荷物もない。
 いちばんに出口へ向かってドアを開けた。湿気た熱い風が吹き込んでくる。空も建物も全部ぎらついてまぶしい。
「ちょっと苑美ー! どこ行くか分かってる?」
「わかんなーい! 早く来てよ! 外あっついよー」
 大きく手を振って呼ぶと、三人が呆れたように、でも笑いながらついてくる。待ってるうちに、もう汗がわいてくる。
 椎羅と椎矢はどんな初めてを教えてくれるんだろう。今日だけじゃきっと足りないけど大丈夫。明日も明後日もまだしばらくは夏休みだ。

2019/2/26 (修正 2023/5/11)