=風の精霊ウィンディ=

プロローグ

 魔界の夜は闇深い。遅くまで賑わう城下といえど、魔力を要する街灯は、人々が眠りにつく時間には軒並み消えてしまうのが常だ。
 その闇の中。二つの大通りの交差点に躍り出た影が一つ。薄く雲をかぶった月からほんのりと光を得て、シルエットが僅かに周囲の暗がりから浮き上がる。
 影は少女の形をしていた。くっきりとくびれた胸から腰の曲線、ふわりと広がったスカートの丸い裾。顔は夜闇に沈んで分からない。少女はいかにも楽しそうに、軽やかなステップを踏んで踊る。スカートを花のように舞い咲かせ、全容の見えない髪を夜風になびかせ、黒い帳をほの白い指先でかきわける。
「やめろよ、それ」
 ぴたりと、少女の動きが止まった。北の道から若い男の声がして、声の主が膝から下だけを月光の下にさらす。
「えー? どうして~?」
 南側から、踊っていたのとは別の少女が、どこか間の抜けた響きで言う。帽子をかぶっているのか、そのシルエットは頭の部分が大きく膨らんでいる。
「ばっか、オレたちこれから敵地に乗り込むんだぞ」
「いいでしょ~。調整だよ、調整~」
 言うなり道の真ん中で、止まっていた少女がくるくると踊り始める。男はふんと鼻を鳴らして、暗がりへと引っ込む。
「しゃーねーなー」
「やったあ! きゅーたん大好きっ、かっこい~!」
 鈴が転がる、というよりマシュマロが弾むような声を上げて、少女が北の通りへ駆け込んでいく。踊る影は踊りながら、その背中を追う。
「だろ? やっぱぴー助にはオレ様がいなきゃな」
「だよね! 行こ、きゅーたん! おにーちゃんを探しに!」
「おう! 待ってろよ兄貴! いま助けに行くぜーっ!」
 踊る少女は何も言わない。二人の声と三人の影は、城下の夜に深く深く沈んでいった。

2014/11/25