=風の精霊ウィンディ=

ユール 5

 移動陣部屋の出口は一つだ。出てすぐに移動陣管理室という場所があって、管理人さんが駐在している。グロウはそこから女王様へと通信鏡をつないでもらい、精霊がそろったことを報告した。それ以外にもなにやら細かいことを伝え、迎えとしてやって来た役人は二人。そしてなぜか、片方はあたしとアクアを、もう一人はほかの三人を、別々の部屋へ通して立ち去った。
 なんの説明もなく閉じられたドアを見やって、あたしとアクアはしばし呆然とする。
「なんでバラバラ……?」
「というか、ここ、どこなの?」
 アクアが部屋を見回そうとして、「あっ」と声を上げて動きを止めた。
 なんだろ、と思いつつ首を巡らせたあたしも、「あっ」の口のまま一瞬固まる。
 部屋自体は、城基準ではごく普通の応接室だった。人間界行きを決めるときにも同じような部屋に何度か通されたことがある。魔法陣を組み合わせた壁紙に、同様の絨毯。そこへ足が沈み込むほどどっしりとした応接セット。向かい合うソファはどちらも三人掛けも余裕の広さだが、クッションは二つしかない。贅沢な作りだ。
 だけどそんな豪華な家具以上にすごいものが、というか人が、奥側のソファの真ん中に腰掛けていた。
 豊かな金髪を額の真ん中で分けた、凛々しく鋭い顔つきの女性が、ゆったりと唇を開く。
「お久しぶりですね、ルビィ・ウィンディ」
 嫌味なく人をフルネームで呼ぶ、その口振りは顔に似合ってはきはきと力強い。
「こちらこそ、えっと、一ヶ月ちょっとぶりです。女王様」
 挨拶を返すと、隣から「えっ」と小さな声が上がった。女王様はアクアのその様子に切れ長の目を細めて笑んで、スカートの裾を押さえながら立ち上がる。飾り気のない、だけどきっとものすごーく良い生地を使っているであろうワンピースだった。もしかしたらドレスなのかもしれない。耳に下がった菱形のピアスだかイヤリングだかも、装飾はほとんどないけど、そこが逆に高級感を漂わせている。
「彼が行方の分からなかった水の精霊ですね。見つかってよかった。とにかくまずは座ってください」
 促されるまま、あたしたちは女王様の対面に座った。もう何度目かになるけど、おしりがずぶずぶ沈んでいく柔らかいソファには慣れない。アクアなんか普通に座ろうとしてバランスを崩しかけていた。
 女王様はあたしたちが浅く座り直すのを待って、穏やかな笑みのまま言った。
「お疲れ様でした。初めての世界でさぞかし大変だったことでしょう。休む時間を取らせてあげたいところですが、そうも言っていられないのが実状です。報告を聞かせてください」
 当然のように、アクアはあたしを見る。女王様もあたしを……っていうかそっか、あたしが女王様に頼まれたことだもんね、精霊探し。
 しかし報告なんてどうすればいいんだろう。とりあえず、順番に話せばいいのかな?
「んと、――」
 最初に出会ったのは雷の精霊、サンダー家の一人娘のグロウだった。お母さんとおばあさんを早くに亡くしていたグロウは、お父さんを殺した精霊狩りに強烈な敵意があるらしく、第二の精霊狩りとも言える今回の事件を重く受け止めてくれた。神魔戦争中もあまり平和な日々ではなかったのか、異様な状況にも適切に対応してくれて、心強いことこの上なかった。
 その反対だったのがアクアだ。なんにも知らない、なんにもわからない。記憶を読み取ろうにも、力移しも通じない。あたしもグロウもこれには弱った。わかることは二つだけ、魔法陣のことと、フィーという女性と一緒にいたこと。
「フィー、ですか。それが本名なのですか?」
「は、はい。ほかの呼び方があるとは、聞いたことないです」
 アクアからそう聞いて、女王様は顎先に指を持っていく。
「城が把握している限りの精霊関係者にフィーという人物はいませんね。今回の件が解決して、あなた方で見つけられないようであれば協力はします。それでは続けて」
「はい。それから――」
 アクアがなぜか詳しかった魔法陣は、四人目の精霊を見つけたときに役に立った。といっても、見つけたのはグロウだ。アクアの陣の恩恵は、精霊探しよりも敵の襲撃を受けたときのほうが大きかった。魔法陣によると思われる白いマネキンと、それとは違い、陣を要さない魔法で作られた可能性のある黒いマネキン。犯人が第二の精霊狩りだという証拠はないけど、それ以外に考えうる犯人もいない。でも、追い払うのが限界で手がかりまではつかめなかった。
 そんな中で魔法を解かれたゴッドは、母親が精霊狩りに遭って以後、グロウの父親の世話になっていたという。そういえばゴッドのことはあんまり聞いてなかった。グロウとふたりで仕事をしつつ、精霊狩りを探しているらしい。
 だからかは知らないけど、最後の精霊を突き止めたのはゴッドだった。手柄のほとんどは彼にあると言っても過言ではない。雪の精霊がユール・スノークスだという情報を持ってきたのもゴッドだし、冬山柊がユールだと確定できたのもゴッドのおかげだ。最後の最後は、アクアが家の移動陣を一生懸命覚えて書いた即席移動陣で魔界に帰ってきた。自称「女王家の提供品より上質」な封印を解く陣に出番がなかったのは、ちょっともったいなかったかも。
「これで精霊は揃ったのですね」
「はい。……たぶん」
 別れる前のユールの態度を思い出し、返事はつい自信のないものになった。女王様の表情が曇りかけ、それを防ぐように声が届く。
「たぶんじゃねーよ」
 ……どこから聞いてたんだろう。振り返った戸口に、ゴッドとグロウとユールが立っていた。みんな制服なのはあたしもアクアも一緒だけど、ゴッドたちは鞄も持っていて、魔界にいるのになんだか変な感じだ。
「彼が」
「そうです。今代雪の精霊」
 女王様の短い問いに、グロウが確信をもって答える。別室でなにをしていたのか、気になったけど聞いても教えてもらえない気がした。
「ノージアのところは一人娘と聞いていたのですが……これは騎士団再編も考えるべきかもしれませんね」
 きびきびとして事務的だった女王様の声に、すこしだけ本音のようなものが覗いた。
 騎士団が通常通りに機能してたら、あたしが人間界へ行くこともなかったのかもしれない。最初に精霊狩りに遭った先代雪の精霊は騎士団のお偉いさんだったし、本当なら頼れる味方になりそうなのに。
「騎士団はこの事件が解決してからでえいでしょう。それより、ユールについて分からんことだらけながですけど。本人から聞き出すがも、すっと限界きてしもうて」
 グロウが横目にユールを見ながら言う。当のユールは一貫して無言だ。無表情で、身じろぎすらなくて、なにを考えているのかまったくわからない。
 あたしたちはこれから、ネイチャー様の封印を解いて、できれば犯人を捕まえて、第二の精霊狩りを解決しなくちゃならない。それはなんとなく、五人ですることになるのだろうと思っている。きっと、アクアもグロウもゴッドもそう思ってる。グロウとゴッドは付き合いも長いようだし、あたしはグロウとはそこそこ仲良くなったつもりだ。アクアとも一度は一緒に戦ったから、ここまでは問題ない。
 困るのはユールのことだ。あたしたちはユールのことをあまりにも知らない。これでいきなり、こんな大がかりな事件の犯人と五人で戦うなんて無理だ。グロウとゴッドがいろいろ聞き出そうとしたみたいだけど、それも成果なしみたいだし。
 女王様は思案顔でユールを数秒見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「一人娘ではなかったようですが、娘がいることは確かです。彼女に会ってみれば分かることもあるでしょう。今回の事件は神魔戦争と関係していることも考えられます。まずは彼女を訪ねてみてはいかがでしょう」
 グロウがなにかを言いかける、それより一瞬早く、ゴッドがきっぱりと、
「そうします」
 と応じていた。反対のことを言うつもりだったのか、グロウが不服そうにゴッドを睨む。
「それでは、何か分かったことがあれば、必要に応じて城へも報告してください。引き続き、フィル・ネイチャーを、そしてこの魔界を、よろしくお願いします」
 女王様はまた、最初のような淡々とした口ぶりで場を締めた。

2014/3/15 (修正 2023/3/9)