~生きとし生ける物語~

1、俺が死んだのは十七の時だった。

 俺が死んだのは十七の時だった。調べてないから死因は知らない。気が付いた時には怪しげな事務所みたいなところにいて、目の前には一枚の書類があった。
 あの世へ行きますか。この世に残りますか。ここから逃げ出しますか。どれを選んだとしても、あなたは死がすべての終わりでないことを知るでしょう。
 そんなふざけた文面の下には「あの世・この世」という選択肢が記載されていて、俺は迷わず「この世」に丸を付けた。
 そうしたら、俺は死神とかいう仕事を任されることになったとさ。
「うーむ、こんな説明でいいのか?」
「いい。分かった」
 怒っているのか怯えているのか、はたまた眠いのか。子供の表情はよく分からない。そのどれでもないということを主張するように、目の前の少女はきっとこちらを見上げている。
 スカートみたいなオーバーオールに、左側頭部だけをくくった髪留め。俺にはその価値が分からない格好は、視線の強さの割に幼い顔のつくりが、年相応のものだということを示している。ジェネレーションギャップというやつか。
「……てかさあ、お前なんなの? 俺、死神って言っただろ。怖くない?」
「あんたは怖くない」
「そうかよ。で? なんで死神の話なんて聞きたいんだよ。お前、十二なんだろ。若いんだからまだまだ関係ないじゃねーか」
 そう言うと、少女はふいっと顔をそむけた。同じ方向に目をやると、あったかい夕暮れを雲が流れていくのが見える。こんな高いマンションの屋上で平然としているのは、なるほど確かに、小学生としては肝が据わっているのかもしれない。
 しかしまあ、扱いにくい子供だ。
 見つからなければよかった。生きてる奴の相手は面倒くさい。久しぶりとなるとなおさらで、最近見られてなかったから気が緩んでたのか、と結論は別の場所に着地した。
「あー……。お前、名前は?」
「レイ」
 ふうん、と答えて、会話はあっさりと途切れる。普通名前聞かれたら聞き返すものだと思ってたけど、子供には通じないらしい。睨み目も解除される様子はない。
「きれーな名前してんだから、そう睨むなよ。心配しなくても俺はお前の担当じゃないし、そもそも死神は人の命なんて取らねえよ」
 逆効果覚悟でぽんぽんと肩を叩いてみる。意外なことに、レイは鋭く細めていた眼を丸くして、勢いよく立ち上がった。
「ほんと?」
「ああ。そうじゃなきゃ死神なんてとっくに辞めて、さっさとあの世に渡ってるよ。今日もこれから仕事だけど、コレで魂掻っ切るとかじゃないからな」
 レイが先ほどからちらちら見ていたでかい鎌を示す。赤ずきんちゃんを墨で染めたような黒ずくめも相当注目されたが、この鎌にはかなわないだろう。
 レイはそんな鎌と俺を交互に見て、
「お仕事、ついて行っていい?」

 子供の手を、初めて引いた。自分だって十七までしか成長してないけど、俺の歩幅で三歩歩くと転ぶくらいにレイは小さい。
 レイは俺の左手を両手で握りしめて、もたれかかるように体にへばりついていた。今日のノルマは近場で二か所だけで仕事に支障は出なかったが、歩きにくいことこの上ない。おかげで、二か所目の病院を出る頃には外はもう真っ暗だった。
 とりあえず、レイに見つかったマンションへと足を向ける。
「どこ行くの? お仕事さっきので終わりって言ってたよね」
 疑い満点の口調と鋭い眼光が飛んでくる。カノジョか、とふざけて言いそうになるのを飲み込んで、
「あのマンション、お前んちだろ? もうこんな時間だし、帰らないと」
「……今何時?」
「さあ。でも真っ暗じゃないか。こんな時間まで外うろついてていいのかよ。家帰んなきゃダメだろ。親御さん心配するぞ」
 思わず言い募ると、レイはただでさえムスッとした顔にさらに力を入れて
「だからこんな時間って、何時?」
「いたっ」
 手の甲に爪を立てられた。俺の声に驚いてか、小さな手がぱっと離れ、また戻ってくる。
「何だよ、もう。ほら行くぞ」
 帰りが遅くなって怒られるのはレイの方だ。俺は油断してなければ生きてる奴らには見えない。今日のような万が一の時のため、死神ですと言ったらすぐ分かってもらえそうな服装をしているせいで、レイの両親に会うことはできない。黒ずくめでフードをかぶり、身長並みの鎌まで携えていれば、死神じゃなきゃ不審者だ。
「だからさ、お前は一人で帰ったことにしなきゃいけないだろ。早く帰った方が――」
 黙って歩いていたレイが、ぴたりと足を止めた。もうマンションはすぐそこだ。数歩前の橋を渡ったところに、青っぽくそびえている建物が見える。
「ここまで来てぐずるなよ。レイ?」
「……やだ。行きたくない」
「はあ? 何言ってんだ」
 手を引っ張ってもレイは動かない。唇をへの字に曲げて、マンションとは反対の方向を睨んでいる。
「あっち、やだ。帰るなら別の道がいい」
「なんでだよ。ここいっぺん通っただろ。訳分からないこと言うんじゃない」
「やだ! ぜえーったい嫌!」
 だん、とレイは足元を踏みつけた。やっと上を向いた顔を見ると
「え……」
 ぎょっとした。レイは涙目だった。
「ちょ、おま、えっ泣くなよ! 俺はさあ、ただ親に心配かけたらよくねーぞってだけで」
「違うの! そんなのわたし分かってるもん! 怒られたくらいじゃ泣かないもん! 理由ならちゃんとあるもん!」
 慌てる俺を怒鳴りつけて、レイは橋を指差した。
「……?」
 俺がそちらへ顔を向けると、レイは俺の後ろに隠れて腰にしがみついてきた。意味が分からない。
 橋には男が一人立っていた。暗さと距離のためにはっきりとは見えないが、おそらく若い。ただそれだけ。
 なのにレイは俺の服を腹の前でぎゅっと握って、白い指先を震わせている。
「レイ? なんだよ、なんもないじゃないか」
「あれ、あれがいるでしょ……」
 右手がまた橋の方を指した。何度見ても、若い男の姿が一人分あるだけだ。こちらへ渡ってくるのか、近づいている。
「やだもう、早くどっか行こうよ。ねえ、早く」
 レイは来た道へと俺を引っ張り始めた。
「意味分かんねーよ、服引っ張るのやめろ」
「死神さんが来てくれたらいいでしょっ! 行こうってばあ」
「こら! それ大声で言うなって! ていうかお前、今一人でしゃべってるように見えてるからな!」
 振り向いて口をふさぐと、レイは目に見えて怯えた顔をした。見開いた目から、たらーっと涙が垂れて手に触れる。
 うわ、まじで泣かれた、と思った時――
「大丈夫だよ、僕には二人とも見えてるから」
 後ろから、白々しいほど爽やかな声がそんなことを言った。

2012/3/8