=声=

目を覚ます。
(「おはよう」)   「おはようございます」
今日も、声は聞こえない。   今日も、彼女の幻を聴く。
昨日より、胸が痛い。   昨日より、声は遠い。
ぼさぼさの髪、   長い髪、
確かな笑顔、   柔らかな笑顔、
赤い瞳、   透き通る目、
この手に残る、約束。   受け取れなかった、遺作。
そういうものは全部、忘れようもなく覚えているのに。   そういうものも全部、同じように忘れていくのか、
(「ありがと」)   「ありがとうございます」
覚えている。
(「泣かないから」)   「誰が望みましたか」
覚えている。
(「当たり前。好きだよ」)   「世界より、一番」
言われた言葉は覚えているのに。   言われた声も覚えているのに。
「……きついな」   (苦しい)
声が、思い出せない。   いつか、忘れそうで。
出会ってから、毎日のように聞いた。   生まれて初めて出会った他人。
泣き声以外は何もかも聞いた。   全てを投げ打って恋い焦がれた。
ちっぽけで些細で平和で幸せな、あの頃の声。   何もいらない。彼女だけがいればそれでよかった。
なのに
(「アクア」)   「ウィン」
彼女はどんな声で、名前を呼んでくれただろう。   彼女はどんなふうに、そばで笑ってくれただろう。
何も。
彼女のことは何一つ、忘れまいと思ったのに。
忘却が迫る。
生きることが怖い。
けれど
(「あたしが守る」)   「あなたは生きて」
記憶の中、彼女に背を押され、彼らは今日も、朝日を見る。


2013/10/6
これ、形ちゃんと整ってるかなあ。
死んだ人のことで一番最初に思い出せなくなっちゃうのは声だったから、そういう話。