さらさらと、ルサ・イルの握る鉛筆の先で線が繋がる。魔法陣を書いた包装紙の切れ端を受け取り、ユールは指先で触れて魔力を通す。ルサ・イルはそれを覗き込み、
「何か違うなあ」
「ここを離したらいい」
「あ、そっか。ちょっと待って……はい」
同じ陣を少し手を加えて書き直し、またユールに渡す。
「よし。これで完成!」
思い通りの結果を見て、ノートにそれを写し、そして彼は気付いた。じっと二人を見つめる、一対の目に。
「レンス」
「ひゃっ、はい!?」
両肘を膝についてソファからテーブルの二人を見下ろしていたレンスは、びくっと肩を跳ねさせて飛び上がった。
「どうかした?」
「いえ、あの、それはですね」
言えない。久しぶりに見た陣書きらしいルサ・イルに見とれていたとか、どうすれば自分もあんな風にルサ・イルと仲良くできるのだろうと考えていたとか、そんな正直なことは言えない。苦し紛れに絞り出した言葉で、レンスは自ら地雷を踏んだ。
「えっと、ルサ・イルさんたちって昔から仲良かったんですか?」
言ってしまって後悔する。あれだけ昔話に怯えていながら、自分から聞いてどうする。きっと出てくる『あの人』の話に、一番傷付くのは自分なのに。
しかしルサ・イルの反応は意外なものだった。子供のようにきょとんとして、ぱちぱち何度か大きく瞬きをして、ユールを振り返る。
「仲良いって」
「そうか」
「そっかあ、そうだよなあ……」
妙に感慨深げなルサ・イルに、レンスの方がきょとんとさせられる。どういうこと? と赤茶けた目が語る疑問に、ルサ・イルが自ら答える。
「いやあ、おれとユールって昔はそんなに接点なかったんだよ。五人とも仲は良かったけど、学生の時は学年違ったし、仕事もおれは引きこもり型だったし、こっちから話しかけたり会いに行ったりしないとユールから来るはずないし。そう思うと、おれたちまとまってるようでそうでもなかったのかなって。でもレンスに言われて、ちゃんとまとまってたんだなって気付いた。今」
自然な笑顔と、甘い声。それはいつもほど遠くない。つられるように、レンスの頬も綻ぶ。
「そういうの、珍しいってウィンさんが言ってましたよね」
「うん。子供たちも、一緒にいた時間は長いはずなのに、大人になったら会うことも少なくなっちゃったし。今の精霊も特殊らしいけど、おれたちはたぶん、もっと特殊だからね」
「特殊って、人間界に行ってたことですか?」
「それもあるけど、やっぱり神魔かな」
あ、と思った。秘塔で習える最大限に古い歴史、神魔戦争。正確には未遂だが、そこにはルサ・イルの最愛の人が深く関わっているはずだ。
だがルサ・イルの笑顔は曇らない。そうして、レンスにとっては初耳の話を語った。
「あの神魔には長い長い前振りがあったんだよ。その一番最初で、おれたち五人はいろんなかたちで親を失くした。それから、人間界で出会って学校に通いながら、一緒に暮らしてたんだよ。その期間で仲間割れせずにやってこられたのは、やっぱり最初にお互いの辛い経験を知ってたからじゃないかなって、おれは思う。全員がいろんな苦しみを持ってて、お互いにそれを知ってたから、みんながみんなに寛容で、押し付け合ったりしなかったんだ」
それを聞いて、言葉通りの意味を受け取り、それからレンスは思う。この話が、思いが本当なら、ルサ・イルが笑っているのは当たり前なのだ。何もおかしいことなどない。だって彼は、この過去を悔やんでいない。彼にとってこの神魔は、あって良かったものなのだ。
だけどそれは悲劇だと、レンスはどうしても思ってしまう。それでもルサ・イルは、自ら見つけた真実を口にする。
「おれたちは、神魔なしでは仲良くなんてなれなかった。それどころか出会えてなかったかもしれない。おれたちには、もしもなんてなかったんだよ」
もしも神魔がなかったら。
一人の人間にとってはあまりに長い、一周期という時の中で、彼は何度そんな夢想をしたことだろう。いくつもの可能性があったはずだ。中には幸せな結末もあったかもしれない。
けれど、それでも彼は、起きてしまった悲劇を選べる。
神魔があったことを、こうも穏やかにレンスに語れる。
そしてその距離が遠くないことを感じて、レンスも自然と微笑むことができる。
レンスとの出会いにも、もしもがなければいいのに、と思いながら。
ユールはそっと目を細めて、そんな二人を見やる。
神魔の日々を思い返し、今なお残る当時の傷を知って、彼はまだ、選ぶことも悔やむこともしない。