レンスに呼ばれて、ウィンは玄関へ向かいながらルサ・イルの部屋に声をかけた。
「アルサ! 外へ!」
それを聞きつけたルサ・イルは、何事かと思いながらドアを開ける。彼にはレンスの言葉は聞こえていなかった。いつになく緊張感の漂うウィンの声色を怪訝に思いながらも、白い背中を追って外へ出る。
玄関ドアのすぐそばにレンスが立ち竦んでいた。「どうしたの?」と尋ねかけて、その言葉は音になることなく消えた。
ウィンとディオに抱き起された人影が目に飛び込んでくる。
「ユール!」
一目見て彼だと分かった。何も、考えられることなどなかった。気づけば名前を呼んでいた。
ウィンがそれに反応して顔を上げる。やっぱり、という目だった。
「とにかく中へ」
力の抜けた黒い塊をディオから受け取り、開けっ放しのドアから家の中に入る。抱き上げた体は何かと比べるまでもなく軽く、その感覚がレンスたちを気に掛ける余裕を奪っていく。
先に走って行ったウィンが空き部屋に布団を広げていた。相談したわけでもないのに、アルサの足は迷わずそこへ向かう。
人形みたいな体を横たえ、アルサは頭から被せられた大きな黒布を剥いだ。ウィンが靴を脱がそうとして
「靴がない……?」
包帯のような布に巻かれただけの足に、眉をひそめる。そして、一瞬動きを止めたルサ・イルの視線の先に目をやり、息をのんだ。
頭を布がぐるぐる巻きにしていた。ぼろぼろのローブのような服から出た手足も、同様に覆われている。顔はまったく見えず、腰より長く伸びた髪はところどころで括られている。そして布のすき間からは、紙の端が覗いていた。
アルサは無言で布を解いた。ウィンが出てきた紙を取り上げる。
「これ、禁止陣じゃないですか」
アルサの目に焦りが浮かんだ。魔法行動禁止陣、あらゆる魔法――それこそ魔力感覚さえも――を封じる、特殊な魔法陣だ。まるで、本当に始末しようとしたかのようなやり口だった。
「破いて」
ルサ・イルは、そう指示して完全に布を解く。顔に傷はなく、真っ白に痩せているのみだったが、目と耳はさらに厳重に塞がれていた。それも外す。
禁止陣が壊れるとともに、微弱に魔力が感じられるようになった。覚悟はしていたが、ぞっとするほど弱っている。
「っ」
「アルサ!」
不意に強く肩を引かれた。振り返ると、ウィンが険しい目で、ユールに顔を近づけたルサ・イルを睨んでいた。
「何しようとしたんですか」
「力移し、を……」
「駄目です! 他者の魔力に耐えられる状態ではありません。普通に看病して自然な回復を――」
アルサは半分も聞いていなかった。通常の力移しでは駄目だと言うなら、『使える力移し』をつくるまでだ。今、ここで。
それが、彼にできる最善だった。
「アサナギ、ユウナギ」
「はーい」
「はーい」
契約者の呼び声に応じて、二人の子供が姿を現す。ウィンがアルサの意図を読み切れずに声を上げる。
「アルサ、あなた何を……!?」
「陣で中和しながらアサナギとユウナギの魔力を入れる。どのみち魔力をいじらないことには助からないんだ」
「そんな陣、どこに」
「今つくった!」
空中に、水色の光が陣を引く。ルサ・イルはまだ何か言いたげなウィンに、そして恐怖に呑まれそうな自分に、強く言い聞かせる。
「万術師を、信じろ」
役目を終えた陣がかき消え、アサナギとユウナギがユールの手を離す。最後に力移しで魔力の安定を確かめ、ルサ・イルは肩の力を抜いた。途端に部屋の寒さが襲ってくる。ウィンに火を頼もうとして、その姿がなくなっていることに気付いた。
「ウィン……」
「なんですか?」
言いようのない不安に駆られて名前を呼ぶと、すぐにドアが開いてウィンが入ってきた。
さっきすべての緊張を解いたつもりだったのに、またがくりと全身の力が抜けていく。
ウィンがアルサの前に膝をつき、背中に腕を回した。
「お疲れ様です。うまくいったんですよね?」
「うん、うん……でも、火が」
ルサ・イルは縋りつきたいのをこらえて、身に染みる寒さを訴える。
「火が、ないと……寒いから、また弱って」
「はい。分かっていますよ」
「また、もう、絶対っ」
「そうですね。助かってもらわないと困りますものね」
ウィンが子供をあやすように優しく、何も否定しない相槌を打つ。
アルサはもう限界だった。ウィンの肩に頭を預けて、かじかんだ手で服の背中を掴む。薄らと濡れていた水色の瞳から大粒の涙が落ち、白い服に吸い込まれた。
「っ、う」
小さく嗚咽が漏れたのを皮切りに、万術師は声を上げて泣きじゃくった。